No One Knows What The Dead Think (ノー・ワン・ノウズ・ワット・ザ・デッド・シンク)

01年に解散したグラインドコア・バンドDISCORDANCE AXIS(ディスコダンス・アクシス)。その中心メンバーであるボーカルJon Chang(ジョン・チャング)とギターRob Marton(ロブ・マートン)が中心に、ドラムに元COHOLのNakano kyousuke(ナカノ・キョウスケ)を加え、結成されたのがNo One Knows What The Dead Think(ノー・ワン・ノウズ・ワット・ザ・デッド・シンク)だ。

 

グラインド・コア界でもベースレスの3人編成で異彩な個性を放っていたディスコダンス・アクシス。放射線物質の怖さを歌った福島原発事故を予見するような内容で、エモがスクリームに進化した、ごく初期のころのスクリーモをグラインドコアに合わせたバンドだった。

 

ノー・ワン・ノウズ・ワット・ザ・デッド・シンクもディスコダンス・アクシスと同様で、絶叫ボーカルとデス声にノイズギターを中心としたグラインドコア。ベースレスで音に厚みがあり衝動的で迫力あるサウンドだったディスコダンス・アクシスと比べると、ノイズギターは薄れ、代わりにスラッシュ・メタルなギターや、コンヴァージやデリンジャー・エスケープ・プランのようなマスコアの要素を全面に出たテクニカルなバンドになっている。なにより音がクリアーで、録音状態がいい。良くも悪くも聞き取りやすい音になっている。

 

“Yorha”(ヨルハ)や“Rakuyo”(落陽)、“Autumn Flower”(秋の花)、“sayaka”(さやか)、“kaine”(ケイン)などの季節や人の名前をイメージさせる曲のタイトルから察するに、けっしてポリティカルなメッセージ性を掲げているバンドではないだろう。だが今作でもディスコダンス・アクシス時代の曲で、日本語の放射線のアナウンスが印象的だった“Dominion”(ドミニオン)が再録されている。

 

全曲、カラオケと名付けられたボーカル・レスな曲を収録。だがその曲はボーカルがなくてもインストゥルメンタルな曲として十分成立している。全体的にゲームのようなスピーディーさテクニカルな演奏でカオティックなサウンドを展開。そこにシリアスさはない。スラッシュメタルやマスコアをグラインドコアに合わせた新しいタイプのサウンド。新しい形のグラインドコアを提示したバンドといえるだろう。

SECT(セクト)
『Blood of the Beasts (ブラッド・オブ・ザ・ビーストズ )』

ニューヨーク出身のヴィーガン・ストレートエッジ・バンドの3作目。Trash Talk (トラッシュトーク)やNALIS(ネイルズ)と同様に、バリバリ響くノイズギターを中心とした、最先端のハードコア・サウンドを展開している。今作でもそのサウンド路線に変わりはない。前作よりも、さらに過激に、よりスピーディーに、よりノイジーに、より重いサウンドに、深化している。

 

今作のアルバムタイトルは、フランスで1949年に上映された、ジョルジュ・フランジュ監督の食肉処理場ドキュメンタリー映画、『獣の血(英語読みでブラッド・オブ・ザ・ビーストズ)』から採用。残酷な内容の映画で、首を刎ねられた牛や羊がピクピク動き、皮を剥ぎ、肉を切るシーンは、食肉加工のおぞましい現場をリアルに生々しく伝えている。

 

今作では映画の屠殺の残酷さを、サウンドで忠実に再現することがコンセプトになっている。歌詞には“屠殺場で皮膚のしわから蒸気が上がる”などのリアリティーのある言葉が目立ち、機械のように無感情で淡々と動物を殺していく屠殺場の残酷さをイメージさせる。

 

その臨場感のあるサウンドからは、まるで業火に焼かれているような苦しみや、断末魔の叫びのような絶望を感じることができる。圧迫するような恐怖がひしひしと伝わってくるのだ。

 

アニマルライツ(動物の権利)だけでなく、そのほかにもメキシコ国境の壁についての人種差別への抗議や、ドラッグで崩壊した家庭などについても歌っている。総じて伝えたい内容は、動物の虐待や差別主義者の独裁者の台頭に、無自覚でいる庶民への警鐘なのだ。

 

今作でもプロテストソングの高いモチベーションを保ち、ヴィーガン・ストレート・エッジという信念を貫いた、熱い作品なのだ。

CEREMONY(セレモニー)
『In the Spirit World Now(イン・ザ・スピリット・ワールド・ナウ)』

カルフォルニア出身のハードコア・バンドの、じつに4年ぶりとなる6作目。Ceremony(セレモニー)といえば、アルバムを発表するたびに異なるジャンルのサウンドに挑戦してきたバンドだ。デビュー作の『バイオレンス×2』はパワーバイオレンスよりのハードコアを展開し、3作目のRohnert Parkでは、初期Pil(パブリック・イメージ・リミテッド)などのポストパンクなサウンドを展開。そして12年の『Zoo』ではセルアウトした感じがあったガレージロックのようなサウンドに変貌していた。そして15年の『The L-Shaped Man』ではThe Cure(キュアー)からの影響が強く、激しさのまったくないニューウェーヴの揺らめくような孤独と暗いサウンドを展開していた。アルバムを発表するごとに激しさは薄れ、ポップになっていく印象を受けた。

 

そして今作ではニューウェーヴ度がさらに進み、Depeche Mode(デペッシュモード)のようなシンセポップを展開。規則正しいリズムで無機質に響くキーボードの音に、暗闇で妖しく光るニューウェーヴ特有の孤独と耽美性。そこにはロック特有の激しさはなく、終始穏やかで陰鬱な世界観がある。

 

アルバムのテーマは自由意志と欲望。際限なき欲望のために自己破壊的になる可能性について述べている。具体的に説明するなら、ドラッグやアルコールで身を滅ぼした人について歌っている。

 

同じ作品を作らないという強い意志や、自己制御的なストイックさという強い信念は、このバンドの最大の魅力だろう。だが物事をシリアスに捉えすぎて、バンドが袋小路に追い込まれ迷走悩んでいるようにも思えた。個人的には初期のころの荒々しさのほうが好きだったが、技術的な部分の人間性の成長を確実に感じさせる作品でもある。それがこの作品のよさだろう。