テキサス
テキサス・ハードコア・シーンは、写真集『TEXAS IS THE REASON:テキサス・パンクの異端者たち』で詳しく紹介している。写真集ではBig Boys(ビック・ボーイズ)、The Dicks(ザ・ディックス)、Butthole Surfers(バッドホール・サーファーズ)などのバンドを中心に、テキサス・ハードコアの反逆性に満ちあふれたリアルを写真に収めている。保守の中心地といわれるテキサス州の醜く腐臭な部分を切り取ったのが、テキサス・ハードコア・シーンの特徴だった。ほかの地区のハードコアシーンと比べるとすべてが亜種進化を遂げた異端だった。詳しい内容は、Texas Hardcore テキサス ハードコア・シーンについてで紹介しているので、こちらの記事を読んでほしい。
シカゴ
シカゴ・ハードコア・シーンは、ドキュメンタリー映画『You Weren’t There : A History Of Chicago Punk 1977 – 1984』で詳しく紹介している。シカゴのパンク/ハードコア・シーンは、社会的で技巧的でカラフルなパンクロックだったNaked Raygun(ネイキッド・レイガン)、DA!(ダ!)、SUBVERTS(サブバーツ)などの第一波と、ゴリゴリのハードコアのARTICLES OF FAITH(アーティクルズ・オブ・フェイス)やRIGHTS OF THE ACCUSED(ライツ・オブ・ジ・アキューズド)、END RESULT(エンド・リザルト)などの第二波に分かれる。詳しい内容は、Chicago Punk/Hardcoreシカゴ・パンク/ハードコア・シーンについて(1977-1984)で紹介しているので、こちらの記事を読んでほしい。
デトロイト
デトロイト・ハードコア・シーンは、Tony Retteman(トニー・レットマン)が著書『Why Be Something That You’re Not: Detroit Hardcore 1979-1985 (ホワイ・ビー・サムシング・ザット・ユアー・ノット:デトロイト・ハードコア1979-1985)』と、ドキュメンタリー映画『Dope, Hookers and Pavement(ドープ、フッカーズ&ペイヴメント)』で詳しく紹介している。右翼的なワーキング・クラスの若者たちに絶大な支持をシーンで、Negative Approach(ネガティブ・アプローチ)がその代表だ。詳しい内容は、Detroit Hardcore デトロイト・ハードコア・シーンについて(1979-1985)と、Detroit Hardcore デトロイト・ハードコア・シーンについて(その2)で紹介しているので、こちらの記事を読んでほしい。
ネバダ
ネバダ州リノは、ラスベガスに次ぐカジノの街で、ギャンブルと金儲けで成り立っている夢を持てない風土の土地柄だった。ハードコアの原動力になっているのは、大抵のバンド場合、貧困への怒りか、満たされた上極への不満、疎外感などの感情だ。だがリノ・ハードコア・シーンの場合、モチベーションとなっているのは、退屈さへの苛立ちだ。
1981年から1983年にかけてリノは、Black Flag(ブラッグ・フラッグ)、Husker Du(ハスカー・ドゥ)、DOA、The Fix(ザ・フィックス)、Minor Threat(マイナー・スレット)など、数多くのバンドがツアーの途中による停車地な場所だった。リノにはUrban Assault(アーバン・アサルト)、The Wrecks(ザ・レックス)などのバンドが活動していた。だが、圧倒的な存在感を放ち、シーンの中心にいたのは7 SECONDS(セブン・セカンズ)だ。7 SECONDS(セブン・セカンズ)のフロントマンであるKevin Seconds(ケヴィン・セコンズ)は、自分が見聞きした他地域のハードコア・シーンを参考にして、見よう見まねでリノのシーンを作り上げた。東海岸のストレートエッジ・シーンに重点を置いたシーンが、リノで発展していった。Kevin Seconds(ケヴィン・セコンズ)のパーカーの上からTシャツを着て、腰にネイルシャツを巻くファッション・スタイルと、彼らの1st アルバム『The Crew(ザ・クルー)』のタイトルから名前をとった、Youth Crew(ユースクルー)は、新世代のストレートエッジ・シーンの名称となり、アメリカ全土に波及していく。
7 SECONDS(セブン・セカンズ)
7 SECONDS(セブン・セカンズ)は、ファストなサウンドのハードコア。バンド名の7 SECONDS(セブン・セカンズ)には、諸説あるが、The DilsのEP『198 Seconds of The Dils』から、198 Secondsをとり、7Secondsへと命名されたそうだ。ネバダのギャンブルや金儲けが支配していたネバダの風土の反発心として、ストレートエッジ・シーンを立ち上げた。そのサウンドとファッションと精神性は、ユースクルーと呼ばれる。
初期のころは、MINOR THREAT(マイナー・スレット)から影響を受けたハードコアに、ポップなキャッチーさ加えたファストで独特なハードコアを展開。中期にはエモロック、後期にはメロディック・ファストコアとマナーチェンジをしながらも、独特なポップ感を保持しながら根強い人気に保ってきた。だが2018年3月20日、公式Facebookページで、解散を発表。彼らもまたアメリカン・ハードコア・シーンの歴史を語るうえで外せないバンドの一つだ。
ミネアポリス
ミネソタ州ミネアポリスのハードコア・シーンは、ジェイズ・ロングホーン・バーというライヴハウスを中心に、Suicide Commandos(スイサイド・コマンドズ)やSuburbs(サバーブス)といったバンドたちが活躍していた。ミネアポリス・シーンを代表するバンドといえば、やはりHüsker Dü(ハスカードゥ)とThe Replacements(ザ・リプレイスメンツ)、Soul Asylum(ソウル・アサイラム)だろう。Hüsker Dü(ハスカードゥ)は、メロディック・ハードコアの創始者。The Replacements(ザ・リプレイスメンツ)は1990年代にアメリカを席巻するオルタナティブ・ロックの先駆者といわれるほど、後世に多大な影響を与えたバンドだ。Hüsker Dü(ハスカードゥ)とThe Replacements(ザ・リプレイスメンツ)といったバンドたちは、ノイジーなハードコアを、メロディックに仕立てる独自のセンスに優れている。ミネアポリスとはロックの伝統がなく、だれに対してもフレンドリーに接する人が多い土地柄として知られている。そんな土地柄のせいなのか、反逆性や暴力による荒々しいバンドはほとんど存在しない。個人的な疎外感と自己嫌悪を内包した、独自のポップ感を持ったバンドたちが生まれた。その個性はアメリカ全土に向け羽ばたいていくことになる。
Hüsker Dü(ハスカードゥ)
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Hüsker Dü(ハスカードゥ)は、メロディック・ハードコアというジャンルを作ったのは、このバンドが最初。自らのサウンドスタイルを確立した3作目の『New Day Rising (ニューライジング)』は、ハードコアのスピーディーでノイジーで荒々しいギターに、メロディック・ギターが絡み、高みまで上り詰めていくスタイルは、唯一無二のオリジナリティがある。そのサウンドは1990年代のGreen Day(グリーンディ)を筆頭としたメロコア・シーンに多大な影響を与えた。アメリカン・ハードコアの伝説のバンドの一つ。
The Replacements(ザ・リプレイスメンツ)
出典:NME
The Replacements(ザ・リプレイスメンツ)は、1984年発表の『Let It Be(レット・イット・ビー)』で、ネオアコースティックからガレージロックなどの融合したオルタナティブ・ロック・バンドとしてブレイクする。荒削りな激しさとエモーショナルな衝動が、初期のころ、とくにデビュー作の『Sorry Ma, Forgot to Take Out the Trash(ソリー・マ、フォーゲット・トゥ・テイク・アウト・ザ・トラッシュ)』では魅力だった。そのサウンドはハードコアというより、ガレージ・ポップなサウンドだ。後期にはブリットポップからメロコア、メインストリームでブレイクするバンドたちに絶大な影響を与えていく。