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𝄃移民文化とリアルな生活圏が生んだ、ブロンクスのハードコアシーン
ブロンクスのハードコア・シーンは、ロウワー・イースト・サイド(マンハッタン)やブルックリン、クイーンズと比べると、一般的にはやや存在感が薄い印象を受ける。
しかしその歴史は意外に古く、1980年代のハードコア第一世代の時代までさかのぼることができる。
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ブロンクスのハードコア・シーンの変遷を年代別に整理すると、
⓵ 80年代前半のNYHC黎明期
⓶ 80年代後半のメタリック化
⓷ 90年代のブロンクス・ビートダウン・ハードコア
という三段階に分けられる。
さらにブロンクスには、パンク/ハードコア、ヒップホップ、ファンク、メタルが同じ地域で自然に混ざり合う、ほかの地区にはない独特の文化的環境が存在していた。
1980年から1984年にかけてのハードコア第一世代の黎明期には、のちにニューヨーク・ハードコア・ドキュメンタリー『The New York Hardcore Chronicles Film(ザ・ニューヨーク・ハードコア・クロニクス・フィルム)』を制作することになる Drew Stone(ドリュー・ストーン)が、まだ高校生だった1984年に The High and The Mighty(ザ・ハイ・アンド・ザ・マイティ)を結成した。彼らは Agnostic Front(アグノスティック・フロント)や Murphy’s Law(マーフィーズ・ロー)と共演し、ブロンクスにおける最初期のハードコア・シーンを形成した重要な存在である。
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同時期にブロンクスのシーンを大きく押し上げたのが、Pelham Parkway(ペラム・パークウェイ)出身の Javi Savage(ハヴィ・サヴェージ)別名 John Souvadji(ジョン・スヴァジ)だ。彼は1982年に Savage Circle(サヴェージ・サークル)を結成し、ブロンクス発のEPをリリースしただけでなく、Big City Records(ビック・シティ・レコーズ)と Big City Fanzine(ビック・シティ・ファンジン)を創設。The Mob(ザ・モブ)をはじめとする初期ニューヨーク・ハードコア・バンドの音源を積極的にリリースした。
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特に1984年のコンピレーション 『Big City Don’t Want No Pity!( ビッグ・シティ・ドント・ウォント・ノー・ピティ!)』 は、若いニューヨーク・ハードコア・バンドの録音を物理的に残し、広域に流通させた重要作として知られる。 Big City Records(ビック・シティ・レコーズ)はこれまでに 16タイトル以上 をリリースし、Armed Citizens(アームド・シチズンズ)、Urban Waste(アーバン・ウエスト)、The Mob(ザ・モブ)、No Control(ノー・コントロール)、Killer Instinct(キラー・インスティンクト)など、当時の地下ニューヨーク・ハードコアの実像を記録したレーベルとして高く評価されている。
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Big City Fanzine(ビッグ・シティ・ファンジン)は、1982〜84年にかけて第1〜7号が刊行されたファンジンで、ライブレビュー、バンドインタビュー、シーンの動向、デモ情報など、ニューヨーク・ハードコアの現場をリアルタイムで記録した貴重な資料である。編集・執筆・レイアウト・コピー・配布まで、すべてをJavi Savage(ハヴィ・サヴェージ)が単独で手作業で行っており、ブロンクスの若者が自力でニューヨーク・ハードコアの情報流通を築き上げた象徴的プロジェクトとされる。
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1984年の最終号では、Javi Savage(ハヴィ・サヴェージ)が「今後は Big City Records(ビッグ・シティ・レコーズ)に注力する」と宣言し、Big City Fanzine(ビック・シティ・ファンジンは休刊となった。彼の活動は、単なる個人の情熱にとどまらず、ブロンクスの若者コミュニティがニューヨーク・ハードコアの記録・流通を担ったことを示す具体的な実例となっている。Javi Savage(ハヴィ・サヴェージ)は、ニューヨーク・ハードコア初期における記録と流通の中心人物として明確に位置づけられる存在である。
この時期は、まだ「ブロンクス・シーン」としての独立性は弱く、ニューヨーク・ハードコア全体の黎明期にブロンクス出身者が重要な役割を果たしていた段階であった。音楽性も高速でパンク寄りの色合いが強く、後年のビートダウンやよりヘヴィなハードコア要素はまだ形成されていなかった。