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DOWNCAST(ダウンキャスト)
『Tell Me I Am Alive(テル・ミー・アイ・アム・アライブ)』インタビュー

じつに25年ぶりの新作である。Downcast(ダウンキャスト)とは、90年代初頭にわずか3年間ほど活動していたバンドで、アンチ‐レイシズムやアンチ-バイオレンスなどのイデオロギーを掲げていた。彼らが所属するレーベル、Ebullition Records(エボリューション・レコーズ)は、アンチ-コーポレートの理念を掲げ、弱者から富を搾取するアマゾンなどのグローバル企業には、商品を卸さない、徹底した姿勢を貫いている。00年代から使われ始めたスクリーモという言葉は、当時、エモーショナル・ハードコアのバンドが叫ぶという意味で使われ、とくにEbullition Records(エボリューション・レコーズ)やGravity Records(グラビティ・レコーズ)などのバンドたちを示す言葉だった。ダウンキャストはスクリームなど歌唱法を、いち早く取り入れたバンドのひとつだった。今回、ギタリストのBrent Stephens(ブレント・ステフォンズ)とボーカルのKevin Doss(ケヴィン・ドス)にインタビューを敢行。25年ぶりとなる新作について、話を訊いた。

———日本で初めてダウンキャストを知るファンもいると思います。まず初めにバンドを結成した経緯から、バンドの歴史について教えてください。

Brent(Gr): Downcast(ダウンキャスト)は、1990年に結成したんだ。 Dave McClure(デイヴ・マクリュア(Bs))とKevin Doss(ケヴィン・ドス(Vo))は、南カリフォルニア出身の幼なじみで、高校のときに同じバンドを組んでいた。俺とケヴィンは大学で知り合った。3人ともパンクやハードコアが好きで、ケヴィンとデイヴは、Black Flag(ブラッグ・フラッグ)や、The Minutemen(ザ・ミニットメン)、X(エックス)などのLAパンクが好きだった。俺はイギリスのハードコアのDischarge(ディスチャージ)や、D.R.I(ダーティー・ロットン・インベシブル)やC.O.C(コローション・オブ・コンフォミティー)のようなクロスオーバー・スラッシュのバンド、Rites of Spring(ライツ・オブ・スプリング)のワシントンDCシーンのハードコア、初期Metallica(メタリカ)が好きだった。俺たちが出会ったとき、みんなポリティカルな意見を持っており、自然と政治的信条をもったバンドを結成したしんだ。ワシントンDCや、西海岸のベイエリア、イギリスで勃興した政治的なパンク・シーンと同じように、南カリフォルニアで起こっている様々な問題を、歌いたかった。
 
バンドを始めたとき、メンバーみんな、楽器の弾き方がよく分からなかったんだ。それにカルフォルニア・シーンの伝統とアイデンティティについても、理解していなかった。学ぶべきことがたくさんあったよ。バンドを組んで自分たちが伝えたい気持ちを、音楽を通じて表現しているだけで、気持ちが高揚して、曲を作ることに喜びを感じていたよ。週末にケヴィンの家に集まり、ガレージでリハーサルをしていた。完成した曲をレコーディングするだけで幸せだった。何時間も練習をし疲れて、その後ケヴィンの車で、ロサンゼルスの自宅に帰ったときことを、よく覚えている。
 
バンドとしてなにを表現したいのか、明確な会話なしに、7インチEP『Downcast』を制作したんだ。その流れでLP『Downcast』を制作して、バンドが自然と成長していった。サウンドは成熟し、暗くなり、より多くの影響を反映することができた。俺たち全員にとって最も重要だったのは、人間としての存在をよりリアルに現すこと。それができた作品だった。俺たちは、サウンドを苛烈で殺伐としたダイナミックなものにする一方で、悪いものに染まる心の弱さや、脆さなどの脆弱な要素を加えた。歌詞には反性差別、反同性愛嫌悪、反大企業資本主義、反キリスト原理主義など、ハードコア・シーンが欠落していると感じたものを、歌った。あと希望と絶望の心の揺れ動きなど、個人的なテーマについても歌っている。

———ダウンキャストはアンチ-レイシズム、D.I.Y、反大企業資本主義などの歌詞が多いです。どんなアティテュードのバンドを目指しておりましたか?

Brent(Gr):どんなバンドになりたかったとか、話し合ったことはないよ。模倣することから始め、そこから前進した。アンフェアで苦痛を与える社会に対して、批判的な姿勢で取り組み、抑圧に立ち向かってきた。ダウンキャストは、Sonia Skindrud(ソニア・スキンドラッド)とKent McClard(ケント・マクラード)と、カリフォルニア南部と北部のハードコアシーンの友達のおかげで活動できた。ソニアとケントはどちらも自主的な考えを持った思想家で、俺たちの生活に強い影響力を与えた。彼らが制作した雑誌“ No Answers(ノー・アンサーズ)”で、俺も執筆させてもらった。バンドで活動していくうえで、いろいろなことを学ばせてもらったよ。7インチEP『Downcast』は、No Answers9号と一緒にリリースされたんだ。彼らは心強い友達で、誇張することなく、俺たちの掲げる政治信念を雑誌に取り上げてくれた。どちらも輝かしい人物だよ。

Downcast

「Tell Me I Am Alive」

Ebullition Records

———当時日本でダウンキャストは、スクリーモのレジェンドと言われました。25年前になぜ活動を止めてしまったのですか?

Brent(Gr):正直に言って、俺たちが伝説的だと、誰からも言われたことがないよ。俺たちは一生懸命働き、できる限りライヴでプレイした。俺たちのライヴはエモーショナル・ハードコアのようなインパクトあった。観ている観客にとって、精神的にかなり重いライヴだったことを自覚している。だからといって俺たちが特別だとは思わなかったし、伝説のバンドと呼ばれるよな感触も得ていない。お金のためでなく、好きだからバンド活動をしていたんだ。
 
いくつかの訳があって解散したけど、もはやその理由も、いまとなっては重要ではないんだ。俺たちの人間関係はヨーロッパ・ツアーの最中に壊れた。原因はコミュニケーションの部分での失敗。俺の個人的な理由で、みんなに大きな迷惑をかけてしまった。いまとなっては自分の責任を認めている。そして後悔もしている。いま振り返ってみると、もう少し人生経験があれば、この問題を解決できたかもしれない。だが当時の俺には不可能だった。傷を癒すのに、そしてみんなとの関係を修復するのに、ほぼ20年かかった。いまとなっては、デイヴもケヴィンもショーンも、礼儀正しくエシカルな人として、とても尊敬している。失われた時間のことを考えると、とても悲しいよ。

———『Tell Me I Am Alive(テル・ミー・アイ・アム・アライブ)』は25年ぶりの作品です。ダウンキャストの最高傑作です。活動を再開した理由を教えてください。

Brent(Gr):評価してくれてありがとう。ダウンキャストが解散したあと、デイヴとケヴィンとショーンはNot For The Lack Of Trying(ノット・フォー・ザ・ラック・オブ・トライニング)というバンドを結成して、そのあとJara(ジャラ)を結成したんだ。ダウンキャストとは異なる音楽性のバンドだったな。その後ケヴィンと弟のグレッグは新しいバンド、Born and Razed(ボーン・アンド・レイジド)を結成した。こちらもダウンキャストとは異なる趣向のバンドで、非常にクールだった。ケヴィンとデイヴとショーンはずっと仲のいい友達でいたけど、お互いに家庭を持ち、家族サービスが重要になって、最終的に音楽から離れてしまったんだ。
 
時間は傷を癒し、俺たちの関係​​を修復してくれたよ。最初は音楽の話ではなく、お互いの人生について少しずつ話し始めた。俺たちが共通する話題から。その後ゆっくりと、数年にわたって、ダウンキャストについて話し合ったんだ。バンド末期のころの自分の行動について、償いをしたいとね。もはや謝罪は必要なかった。過去のことはまったく気にしていないと言われたよ。俺たちみんなでダウンキャストで活動してきた意味について、話し合ったんだ。ダウンキャストは、もっとクリエイティブに、もっと情熱的に、もっと破壊的な衝動を持ったバンドだと、結論に達したよ。どれだけ年をとっても、バンドを結成したころの気持ちは、これっぽちも変わらないんだ。
 
それから再結成について話始めた。俺たちは古い曲だけを演るために再結成をしたくなかったし、過去の思い出にすがるバンドだけにはなりたくないと、結論に達した。ダウンキャストとして再び音楽活動を再開する理由として、まず自分たちが何者であるか、何を表現したいのかを、正確に見つめ直す必要があった。いまの自分の気持ちを正直に反映したバンドになることを試みた。ダウンキャストとして再び音楽を作るには、進化し続けながらも、過去と変わらない倫理観を適用しなければいけない。すべてはダウンキャストへの愛着のために。
 
デイヴについても話さなければいけない。彼はダウンキャストに道徳的な基盤を形成してくれた。彼は冷静で、高潔で、おそらく俺たちの誰よりも、オープンマインドだった。ダウンキャストは、彼が独創性を強く求めたおかげで、進化したのだと思う。ダウンキャストを再結成するとき、彼に参加を求めた。彼の意見なしに再開することは不可能だったからね。 デイヴはいまの演奏力ではバンドに参加できないと判断したんだ。 それが、ケヴィンの弟であるグレッグにオファーした理由なんだ。彼は快く引き受けてくれたよ。いまではバンドの中心的な存在であり、彼の演奏は本当に素晴らしいよ。

———ダウンキャストには8ビートの曲がありません。anti-dancing(踊ることを禁止)の姿勢は今作でも貫かれております。なぜアンチ-ダンチングなのですか?

Brent(Gr):本音を言えば、ダンスチューンが好きで、実際グルーヴ感のある曲は好きだよ。ただ1992年から1993年にかけて、意図的にバランスを崩し、暴力的で耳障りな音楽を作っていたんだ。不協和音やダウンチューニング、マイナーなコードパターンを探求するにつれ、シンコペーションや、20世紀初頭のロシアのクラッシク奏者、イーゴリ・ストラヴィンスキーのような音楽的の要素を加え、オリジナルティーを探求していたんだ。この実験性を盛り込んだ曲が“Sandpaper(サウンドペーパー)”なんだ。
 
俺たちはとくにダンスすること嫌っていなかったけど、アンチ・ダンチングの評判があることは知っていた。ただハードコアのライヴの定番であるダイブやモッシュピットに疑問を持っていたことは確かだよ。ガタイのいい男性がモッシュピットで暴れて、女性のファンや華奢な男性たちが隅に追いやられていくのを見るのが、嫌だったんだ。ハードコアのライヴが、ガタイのいい白人男性が適していると気づいたとき、女性ファンや小さな体の男たちが俺たちのライヴを観るのは困難。みんなが楽しめる方法がないか、考え始めたんだ。
 
DCハードコアのバンドたちやギルマン(痴漢などの性犯罪や、人種差別、反同性愛嫌悪、暴力を徹底的に排除したサンフランシスコ・ベイエリアにあるライヴハウス)の人々のように、多くの人たちが楽しめる空間のあるライヴを演ろうと考えるようになったんだ。モッシュピットやダイブが頻発するライヴに対する俺たちのスタンスは、これが俺たちのコミュニティであり、いろいろな人種や身体的な特徴を持った人たちすべてが楽しめる、多様性に富んだライヴを目指しているんだ。長身でガタイのいい白人だけしか楽しめないライヴだったら、パンク精神の包括性が損なわれてしまう。 ダンスについての俺たちのスタンスは、歌詞の内容と一致しているんだ。 みんなに楽しい時間を過ごしてもらいたかった、それを実現する方法があると思っているんだ。
 
あと俺たちは、異性愛者の白人男性の間に起こらなかった、男女の役割と、性的アイデンティティを探求したいと思っていたんだ。Ebullition Records(エボリューション・レコーズ)からリリースしたコンピレーション・アルバム『Give Me Back(ギヴ・ミー・バック)』に、“For In Love(フォー・イン・ラヴ)”という曲を収録したんだ。この曲は、同性愛者たちに、社会で平等な権利を得られるよう求めた内容なんだ。繰り返しになるけど、だれでも受け入れられるようなライヴ・パフォーマンス・スペースを作りたいという俺たちの願望は、サウンドと一致して、そして音楽で訴えかけなればいけないと考えているんだ。

Downcast

「Tell Me I Am Alive」

Ebullition Records

———今作では透明なメロディーを中心としたサウンドに変化しています。どんなことを意識してアルバムを制作しましたか?

Brent(Gr):俺たちは25歳年を取って、技術的な部分で円熟味を増した。ショーンは熟練したドラマーで、Good Riddance(グッド・リッダンス)や他のバンドで20年以上にわたって定期的に演奏し、レコーディングしている。彼のスタイルがレコーディングの基礎となっている。Chris Hervey(クリス・ハーヴィ)のドラムが92年にリリースしたLP『Downcast』の基礎となったように。91年にリリースした最初の7インチEP『Downcast』に収録されている“Lie(ライ)”や“Schedule(スケジュール)”などの曲を、『Tell Me I Am Alive(テル・ミー・アイ・アム・アライブ)』と聴き比べると、コーラスセクションとメロディーは美しく演奏され、新しく進化している。たけど本質的な部分では、そんなに違いがないんだ。
 
93年当時の曲の作り方法と比べると、曲の内容とアイデアのツールキッドが拡張され、 新しい曲は同じスポットから汲み取っている。俺たち全員、曲作りに対する愛情と積極的な意欲を持っている。たしかに93年と比べると、少しは発達しているかもしれない。だが実際にはリフはシンプル。 曲はより叙情的でプログレッシブで、とても気に入っている。物語はある地点から始まり、別の場所で終わるんだ。

———ボーカルの歌声はクリーン・ボイスに変化しました。7インチEP『Downcast』ではボーカルのスクリームが印象的でした。なぜ歌い方を変えたのですか?

Brent(Gr): 7インチEP『Downcast』と、LP『Downcast』で、ケヴィンは驚くべきボーカル・パフォーマンスを披露したんだ。彼の怒りに打ち震えた歌声に、俺は圧倒されたよ。だが彼は練習やライヴのあとに定期的に喉から出血し、体に大きなダメージを負っていた。 もはやそのような歌い方をすることは、物理的に不可能だと、俺に言ったんだ。 彼がクリーン・ボイスで歌うことを望んでいるのか分からないけど、歌い方を変えたことによって、いろいろな感情の色付けがされ、深みが増している。もちろんそこには怒りも感じることができる。

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「Tell Me I Am Alive」

Ebullition Records

———“Four Arrows(フォー・アロウズ)”は、カルフォルニアの古い言い伝え(myth of California)について歌っております。歌詞の内容を教えてください。

Brent(Gr): この曲はカリフォルニアの歴史に関するものなんだ。この歌のタイトルは、キリスト教への改宗を拒否し、殺されたネイティブカリフォルニアの囚人について、スペインの司祭が1830年代に書いたの書物の内容から執っている。具体的に説明すると、この書物では、司祭は4つの矢で殺された囚人について説明している。この組織的な虐殺は、白人たちがカリフォルニアを征服するための大義名分で、1850年にカルフォルニア州が創設されたあとも、州政府によって虐殺が実施されたんだ。この曲は、カリフォルニアの古伝についてただ歌うのではなく、カルフォルニアの先住民族への継続的な抑圧と排除を、多くの人々が見て見ないふりをする現在の風潮に、疑問を投げかけているんだ。
 
カルフォルニアの伝統では、カリフォルニア人にとって広く開放的な土地がスピリチュアルな家であるという、考え方があるんだ。だがカルフォルニアの土地は歴史的に、力によって奪ってきたんだ。カリフォルニアの先住民がいなくなったことも、もう1つの歴史なんだ。そして先住民の文化を再びつなき、系統的に盗まれたものを回復する。その作業が終わったとき、はじめて現代人が進化したと、実感を得られるんだ。
 
そしてもう1つの伝統は、カリフォルニアのライフスタイルのトレンド。たとえばサーフィンやエッジの効いたアート、さらにはパンク・ロックなど。これらのカルチャーは、 白人至上主義という概念のなかで実現されてきたことなんだ。この考えを改めさせてもらうのに、俺は苦労している。カリフォルニアのトランスグラッシヴな芸術形式でさえ、すべて人種差別が生み出した、基盤の上にあるんだ。

———“Price(プライス)”では、どんなことを伝えたかったのですか?

Brent(Gr): “Price(プライス)”は、かなりヘヴィーでノイジー。収録された曲のなかで、最も静かで重大な部分を担っている。歌詞はゲビンのパーソナルな内容。それは父親としての自覚と責任について。長年勤めてきた、たゆみない仕事が、父親としての人格を形成した。その反面、生きていくため、感情を押し殺している。本音をさらけ出すことが出来ない自分と葛藤している。精神的に疲れたとき、どのように健康を維持し、充足して生きていくのか? 何年にもわたって困難な状況で働いてきたあと、悲劇を直接目にした。この曲は『Tell Me I Am Alive(私が生きていると伝えて)』という、アルバム・タイトルの1つの側面なんだ。

———“Nature of a Gun(ナチュラル・オブ・ア・ガン)”は、アメリカ銃社会について歌っております。

Brent(Gr): この曲は、大量射撃で身内を亡くした家族の心の痛みについて歌っているんだ。銃の役割とは、人に恐怖を与えることが目的で使われる。そこには ゆっくりと重く、悲しみで圧迫された感情が漂っている。まるで葬式で並ぶ行列のように。次に銃を製造し、利益を得る人々について、話は変わる。彼らはアメリカ独立の象徴として擁護されている。そして彼らに問いただすんだ。銃の役割とは何かと。彼らは答える「保護と文化的な誇りのためだと」。曲の終わりまでに、狂った矛盾に取り残されるんだ。どういうわけか、この耐え難い悲しみの悲劇は、政治的に重要ではないんだ。拳銃を持つことは、一部の人々のなかでアメリカのアイデンティティーだと感じている。

———“Mayday(メイデイ)”では、ホームレスのキャンプなど、経済格差と貧困問題について取り上げています。

Kevin(Vo):俺はロサンゼルスで生まれた。人生のほとんどの時間、街の近くに住んでいた。そこで多くの時間を過ごした。 現在ロサンゼルスから車で2時間離れた場所に住んでいるが、仕事の半分はロサンゼルスで過ごしている。現在、ロサンゼルスの中心部で、消防士/パラメディックの仕事をしている。ロサンゼルスは非常に複雑な都市なんだ。互いに接近しているにもかかわらず、各エリアごとに住んでいる民族が異なり、お互いに交流がない。あきらかな違いのある、大きな街の集合体のようなものなんだ。街の最も貧しいエリアは、最も豊かなエリアから10マイルしか離れていない。各エリアごとに、明らかな違いがあり、異なる雰囲気がある。“メイデイ”とは、問題があるエリア、助け、援助、つながりを求める叫びのこと。ロサンゼルス市内のいくつかの地区に焦点を当てた地理ベースの曲なんだ。 エンディングの歌詞は、異なる民族が集まり一緒になって頑張ることを願っている。

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———“The Response from White America(ホワイト・アメリカからの応答)”では、人種差別について歌っております。具体的な内容を教えてください。

Brent(Gr): この曲は、公民権擁護者で作家のミシェル・アレクサンダー発表した著書『The New Jim Crow(ザ・ニュー・ジム・クロウ)』の、アメリカ人種差別の歴史を参照にしている。著書のなかで、アメリカの人種差別主義のイデオロギーと法律は、奴隷制から刑務所の投獄に変化た、と書いている。人種差別が一度も消えたことはないんだ。コーラスは次の内容。。これはアメリカ社会で俺たちがと想定しているものの多くは、人種差別的な政策からきているということを意味するんだ。これらのルールは目に見えないかもしれないけど、その効果はまだ存在しているんだ。今日まで人種差別によって、形作られているアメリカの都市にも当てはまるんだ。
 
懲罰的で不良品と決めつけた人物を徹底的に排除し、違反者を厳しく罰する、あらゆる例外を許さないアメリカの教育『ゼロ・トレランス・ポリシー』。低所得者層の医療ケアを奪う民間の医療会社。反対側からの視点で見ると、白人のアメリカ人たちが、思いもよらない野蛮な反応を見せることがあるんだ。 人種差別の影響から、子供たちが脆弱であるにもかかわらず、満ち足りた人間とみなされ、守ることができない。恐ろしい痛みに直面しているアフリカ系アメリカ人の母親と父親がいると、何度も話を聞かされた。この曲は白人のアメリカ人たちに、すべてのアフリカ系アメリカ人の大人と子供が、美しい人間性をもった人たちだということを、呼びかけているんだ。

———『Tell Me I Am Alive(私が生きていると伝えて)』というアルバムタイトルには、虐げられている者たちの切実な叫びが込められています。このアルバムを通じて伝えたかったテーマを教えてください。

Brent(Gr): ほとんどの曲は人生に関するものなんだ。人生の価値、愛の価値、充足した人生を送りたいという願望。“Price(価格)”のなかでは、感情を抑圧する環境で働くとトラウマとなって現れること。“The World He Promised to Katherine(彼がキャサリンに約束した世界)”では、子どもの死を悼む人々を支配している力について歌っている。そして実際に)とい歌詞フレーズが出てくる。“Hiding in the Limbs(手足を隠す)” は、アルバムの中間ポイントになっている曲で、若い男性と女性がフロリダ州にあるオーランドのパルスナイトクラブで、フロリダダンスを踊るところから始まる。アルバム・タイトルは様々な社会問題だけでなく、俺たち自身に向かって自問自答している内容でもあるんだ。俺たちは歳を取ったけど、まだまだ新しい経験をして、クリエイティブになりたいと思っている。音楽を作っていると、Tell Me I Am Alive(私が生きていると伝えて)だと、理解できるよ。

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———今作もヴァイナルのみの発売です。なぜコンパクトディスクで販売しないのですか?

Brent(Gr): ただ単純にレコードがかっこいいと思ったから作っただけなんだ。俺たちのファンの多くもレコードでの発売を望んでいるよ。ただ利便性という部分ではデジタル音源で販売もしたかった。この2つの形式だけで充分だと考えている。CDは本当に必要ないよ。

———Ebullition Records(エボリューション・レコーズ)について質問します。ダウンキャストの商品は、アマゾンで販売しておりません。大企業の商業主義を否定している姿勢がうかがえますが、その理由を教えてください。

Brent(Gr):この質問は本来、ケントが答えるのがふさわしいと思う。Ebullition Records(エボリューション・レコーズ)はケントが創設したレーベルで、30年間、頑なに反大企業のスタンスを貫いてきた。その姿勢は決して変わらないよ。バンドとして、再びケントと一緒に仕事ができ、Ebullition Records(エボリューション・レコーズ)で、ヴァイナルをリリースすることができて、とても幸せだと感じている。ダウンキャストは、Ebullition Records(エボリューション・レコーズ)ど同義だと感じている。 また、Three One G(スリー・ワン・G)を運営しているJustin Pearson(ジャスティン・ピアゾン)にも感謝している。Three One G(スリー・ワン・G)は、ノイズ系やグラインド系のバンドしかリリースしない、クレイジーなレーベルだけど、デジタル・アルバムをリリースする技術に優れていた。ジャスティンは古くからの友人で、まっとう人間なんだ。

———Ebullition Records(エボリューション・レコーズ)は、ストレートエッジに尋常でないこだわりを持ったレーベルですが、あなたたちもストレート・エッジですか?

Brent(Gr)::90年代に南カリフォルニアで音楽を作ったとき、多くの人たちが俺たちをストレート・エッジだと思っていた。べつにそう思われても構わないよ。俺たちのメンバーはだれ一人、ドラッグもやらなければ、アルコールも飲まない。90年代のストレート・エッジ・バンドが本当に好きだったな。俺たちみんな、ドラッグとアルコールをやらないIan MacKaye(イアン・マッケイ)の考え方に、影響を受けた。俺たちは手の甲に“X”と書いていなかったし、ストレート・エッジに関する曲を書いたこともなかった。ストレート・エッジだと主張する方法が分からなかったんだ。それに俺たちは、政治、アイデンティティ、そしてアンフェアな世界で脆弱な人間を守るための戦いについて、歌いたかった。パーティーは俺たちにとって重要ではないし、時間の無駄だと思った。とはいえ高校でアルコールとドラッグを止めた時点で、ストレート・エッジな生活はとても快適だった。アルコールやドラッグにアイデンティティを見出す文化のある南カリフォルニアで育った俺としては、拒否することに価値があると思っている。

———最後にダウンキャストのパンクアティテュードとは何か?教えてください。

Brent(Gr):バンドに関して言えば、怒りと、欲求不満と、悲しみを、いつもため込んでいた。思いやりのある世界になってほしいと願うため、世間に訴えてきた。継続的に残酷な感情を持っている人は、世界に苦しみをもたらす。バンドはもっと暗い。俺たちよりももっと暗澹としている。しかしこの悲しみと痛みは、幸福へ向かっていくプロセスで、必要な仲間なんだ。社会奉仕が幸福をもたらすのと同じように。どちらの感情も、完全な生活を送るうえで不可欠な部分なんだ。 みんなには充実して生き続けることにトライしてほしい。そしてクリエイティブなものを作り出してほしい。思いやりと愛情を持ってほしい。 前向きな変化のために働いてほしい。それが人間として目指すべきものだと思う。

 

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