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𝄃ニューヨーク・パンク第二世代の登場
ここではTony Retteman(トニー・レットマン)が2014年に執筆した『NYHC:New York Hardcore 1980-1990(ニューヨークハードコア1980-1990)』を読んだ内容をまめ、私の見解を加えながら、ニューヨーク・ハードコアの歴史を説明したい。
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この本では、1976年に勃興したニューヨーク・パンクからノーウェーヴを経て、ハードコアが人気を獲得するまでの過程を、時系列に沿って描いている。ニューヨーク・ハードコアの興味深い点は、ブルックリンやロングアイランドの中流家庭層から、クイーンズやブロンクスのアンダークラスまで、多人種・多階級が混在するシーンだったことだ。政治的思想を掲げるバンドから、ギャング的アティテュードを持つタフガイ系、ハイスピードからミドルテンポのスタイル、クロスオーバー・スラッシュやユースクルー、DMS、さらにはヒップホップまで、他の地域のシーンには見られない多様性が存在していた。
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出典:Inside New York City’s 1980s Punk and Hardcore Scene
パンクとは、Richard Hell(リチャード・ヘル)、Dead Boys(デッド・ボーイズ)、Ramones(ラモーンズ)、Johnny Thunders & the Heartbreakers(ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ)などのバンドによって、ニューヨークで始まった音楽シーンである。
しかし1978年にはTelevision(テレヴィジョン)が、1979年にはPatti Smith Group(パティ・スミス・グループ)が解散し、1980年にはニューヨーク・パンクの第一世代のバンドたちが次第に衰退していった。
その後、Stimulators(スティミュレーターズ)やMad(マッド)など、ニューヨーク・パンク第二世代のバンドが登場することになる。
DEAD BOYS(デッド・ボーイズ)
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出典:Fandom
特筆すべきは、Stimulators(スティミュレーターズ)である。彼らは、パンクからハードコアへと橋渡しするようなサウンドを展開していた。ドラムを担当していたのは、当時わずか12歳のHarley Flanagan(ハーレー・フラナガン)。彼は後に、ニューヨーク・ハードコアを代表するバンド、Cro-Mags(クロ・マグス)のベーシストとして活躍することになる。
Stimulators(スティミュレーターズ)
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出典:Facebook
『NYHC: New York Hardcore 1980–1990(ニューヨーク・ハードコア 1980–1990)』によれば、「ハードコア」という言葉を最初に用いたのは、SoHo Weekly News(ソーホー・ウィークリー・ニュース)で働いていたジャーナリスト、Pat Wadsley(パット・ワズリー)だという。 彼女はニューヨークのロックンロール・シーンについて、「CBGBは年月とともに穏やかになってきた。メイシーズ・パンクは万歳。マックスだけがハードコアのままだ」と評しており、この言葉はその評論に由来しているとされる。 Max’s Kansas City(マックス・カンザス・シティ)とは、ニューヨーク市にかつて存在した伝説的なナイトクラブであり、そこで演奏していたバンドたちが「ハードコア」と呼ばれるようになったという。
Max’s Kansas City(マックス・カンザス・シティ)
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出典:pinterest
Max’s Kansas City(マックス・カンザス・シティ)では、THE Mad(ザ・マッド)や、後にAgnostic Front(アグノスティック・フロント)を結成するVinnie Stigma(ヴィニー・スティグマ)が在籍していたEliminators(エリミネイターズ)などのバンドが、ニューヨーク・パンク第二世代として活躍していた。
THE Mad(ザ・マッド)
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出典:Discogs