Speak Like You Talk Letlive CD Baby.Com/Indys 2007-12-25 |
05年発表のデビュー・アルバム。彼らの個性を確立したのはこの作品。自分たちの演りたいサウンドが固まっていなかったデビューEPでは、ヘルメットやザ・ユーズドなどのハードコアやスクリーモのフレーズを、ただ切り貼りしただけの作品だった。それが今作では、さらにいろいろなアイデアをぶち込み、カオティックなサウンドに変貌を遂げた。
デビューEPから今作を発表するまで、2年もの歳月を要した。その理由は、12曲のベースとなる曲に、69曲分の断片的なフレーズやスクリーム、ギターアレンジや、スローテンポからブラストビートまでのドラムを、切り貼りし、組み合わせたからだ。気に入らない箇所があると、作っては壊し、壊しては作り変える。まるで壷を叩き割る陶芸家のように、試行錯誤を繰り返して、自分たちのスタイルを確立したのだ。その作業のため、作品を仕上げるのに、これだけの時間がかかったのだ。
そんなプロセスを経て完成した今作は、カオティック・ハードコアな作品に仕上がっている。サウンドフォーマットのベースになっているのは、デリンジャー・エスケープ・プランや初期マーズ・ヴォルタのようないろいろなフレーズを切り貼りしたカオティックなサウンド。だがデリンジャー・エスケープ・プランやマーズ・ヴォルタとの一番の違いは、幅広いジャンルの音楽に影響を受けたバラエティーの豊かさと、静と動のふり幅の違いにある。
たとえば1、2、3、4、9、11は、デリンジャー・エスケープ・プランのマシンガンのような断片的なリズムとリフと、シック・オブ・イット・オールのようなハードコアの歌いまわしをベースにしながらも、そこにスクリーモの絶叫と冷たいメロディー、映画のワンシーンから取り入れたメロディー、エクスメンタルロックなどをカオティックにぶち込んだ。彼らの音楽スタイルを代表する曲たちだ。とくにスクリーモに影響を受けた金切り声が特徴の叫び声には、怒りを感じることができる。スクリーモ特有の被害者の苦しみの叫びではなく、ヒステリーに満ちた怒りの叫びだ。自己嫌悪やうまくいかないことへの焦りと苛立ちなどもあるが、いろいろな種類の怒りがこのアルバムには混在している。“パンクス・ノット・デット,ジーザス・イズ”では、パンクスをつぶそうとするものへの反発心から来る体制側の人間への怒りであり、“スキン・ファック・メタル”では血の通っていない無機質で機械的な人間への憎悪がある。そのほかにも嫉妬からくる怒りもあり、ほとんどが他者に対する怒りの感情でしめられている。
総じて怒りに満ちた作品だが、それ以外にも変わったバラードの曲がある。6は1965年2月14日に家を爆破された後に、フォード講堂でマルコムXが怒りの演説を行ったテープが収録され、8ではチープなインディーデジタル音と後期スマッシュ・パンプキンズから発展したメラコンコリックな曲。そして10はバトルズのマスロックに影響を受けた浮遊感あるスペイシーなイントロの曲だ。そこにあるのは、虐げられた人間による怒り革命の意識と、人間が交錯する雑踏のなかを自分を見失いさまよっているような孤独に満ちた感覚、疲弊とたそがれがある。怒りの隙間を埋める、一息入れるようなアルバムのアクセントになっている曲。だが、全体を通して表現しているのは不幸の側にある感情なのだ。
サウンド面に関して言えば、テンポよく曲が進まず、若干まとまりが悪い部分があるが、当時のトレンドをすべてぶち込んでいる。サウンドのトレンドを取り入れながらも、表現している感情は、エモーショナル・ハードコアのような内省もなければスクリーモなどの軟弱な方向に向かっていない。世の中に戦っていく闘争心があるのだ。前世代的な精神性をベースにしつつ、サウンド面ではトレンドを取り入れている。彼ららしいスタイルは確立しつつあるが、この時点ではまだ、もう一回聴きたくなるようなサウンドの中毒性はない。音の迫力もない。それを確立するのは次作からだ。