Chicago Punk/Hardcoreシカゴ・パンク/ハードコア・シーンについて(1977-1984)


ここでは映画『You Weren’t There : A History Of Chicago Punk 1977 – 1984』を中心に、シカゴのパンク/ハードコア・シーンについて紹介したい。シカゴとはアメリカの中部中央に位置し、ニューヨーク、ロサンゼルスに続く第三の都市だ。スタイリッシュで都会的なニューヨーク、カラッと明るい太陽のもと派手で陽気なロサンゼルスと比べると、いささか地味な印象がある。だがシカゴはブルースの聖地であり、ジャズやゴスペルなど、アメリカ音楽のルーツは、シカゴにあるといっても過言でないほど、音楽の街としても知られている。

なぜシカゴ・ハードコアではなく、シカゴ・パンク/ハードコアと名付けたのかという理由には、シカゴではメロディーに重点を置き、技巧的で実験的なサウンドを追求しているバンドが多かったからだ。シカゴはニューヨークやデトロイトのように保守的なブルーカラーによって作られたシーンではなく、リベラルで少数派と感じている知的階級層によって作られ、音楽的に洗練されたシーンだった。DEVO(デーヴォー)からRAMONES(ラモーンズ)、SEX PISTOLS(セックス・ピストルズ)やTHE CRASH(ザ・クラッシュ)などの初期パンクをベースに、大量のユーモア、奇抜なファッション、芸術、知性などの要素を取り入れ、シカゴ・サウンドを発展させた。技術的に洗練されたメロディー、シリアスさをパロディー化したアイロニカルなジョーク、シカゴ独特なアートのフライヤーなどが、シカゴ・パンク/ハードコア・シーンの特徴として挙げられる。

出典:Chicago Punk, Vol. 1
シカゴ・パンク/ハードコア・シーンで中心的な役割を担っていたライブハウスは、O’Banions(オバニオンズ)とOz(オズ)。O’Banions(オバニオンズ)はストリップとゲイバーを営んでいたライブ・ハウスだったが、Toxic Reasons(トニック・リーズンズ)、Hüsker Dü(ハスカー・ドゥ)、The Replacements(ザ・リプライメンツ)、Dead Kennedys(デッド・ケネディーズ)などの全国区のハードコア・バンドを招聘し、その後Naked Raygun(ネイキッド・レイガン)や、Strike Under(ストライク・アンダー)、Ministry (ミニストリー)などの地元のバンドたちが演奏し、シカゴ・パンク・シーンの震源地へと変貌を遂げた。Oz(オズ)は地元の市議会議員に裏金を渡さなかったせいもあって、警察によってたびたび店が閉鎖に追い込まれた。場所を転々と変えながら営んでいたライブハウスだ。ライブは他の地方と同様に、ときには暴力的で不快な場面もあった。ネオナチ、さらには聴衆からの嫌がらせに耐えなければいけない時もあり、つねに存在するシカゴ犯罪組織との暴力の不安を抱えていたそうだ。その他にも、シカゴのパンクシーンを紹介していたラジオ、『Sunday Morning』の存在も、シカゴ・パンク/ハードコア・シーンを盛り上げる重要な役割を担っていた。

出典:Chicago Screenshots

You Weren’t There : A History Of Chicago Punk 1977 – 1984
Joe Losurdo, Christina Tillman監督