Detroit Hardcore デトロイト・ハードコア・シーンについて(1979-1985)


 
ここではアメリカン・ハードコアに精通したライター、Tony Retteman(トニー・レットマン)が13年に執筆した『Why Be Something That You’re Not: Detroit Hardcore 1979-1985 (ホワイ・ビー・サムシング・ザット・ユアー・ノット:デトロイト・ハードコア1979-1985)』を中心に、Detroit Hardcore(デトロイト・ハードコア)について紹介したい。Detroit(デトロイト)は、Los Angeles(ロスアンゼルス)やNew York(ニューヨーク)、Boston(ボストン)、Washington, D.C.(ワシントンD.C.)などの地方都市と比べると、ハードコア・シーンに活気がなく、目立たない存在のように思える。だがこれがまたすごいシーンなのだ。
 
本の内容は79年にデトロイトで誕生したTouch and Go Records(タッチ&ゴー・レコーズ)が、85年にシカゴに異動するまでの計6年間の歴史について語っている。当時のバンドの関係者のインタビューを交え、デトロイトのハードコア・シーンについて語っていく内容だ。

出典:Touch and Go Records
 
なぜこの本がすごいかといえば、デトロイトのハードコア・シーンが、ほかの地域と比べると、あまりにも特殊すぎるからだ。そこにはカルフォルニアやニューヨークのシーンのような、大勢のバンドによる活気や、盛り上がりなどはない。ましてや長期にわたってハードコア・シーンが継続され、伝統が生まれる土地柄でもなかった。バンドのつながりや伝統やコミュニティー、仲間意識やライバル心、シーン内による影響など、全く存在しなかった。それらの要素が独特なシーンを形成したのだ。
 
デトロイトで活動したバンドたちは、まるで線香花火のように瞬間に激しく燃え、瞬く間に散っていった。どのバンドも短命で、単独で行動していた。烏合の集まりのシーンなのだ。デトロイトという治安が悪く、荒っぽい気質の土地柄の人間たちがパンクな暴動を起こす。それがデトロイト・ハードコア・シーンの特徴といえるだろう。
 
ここで具体的に取り上げられている代表的なバンドはNecros(ネクロス)とTHE FIX(ザ・フィックス)とNEGATIVE APPROACH(ネガティヴ・アプローチ)といったバンドたちだ。3バンドとも、MINOR THREAT(マイナースレット)やBLACK FLAG(ブラッグ・フラッグ)、Agnostic Front(アグノスティック・フロント)なんかと比べると、日本ではあまり知られていない存在のバンドたちといえるだろう。だがアメリカでは3バンドとも、本当の意味で伝説のバンドとして語られ、ハードコア界では神格化された存在として扱われている。
 
とくにネガティヴ・アプローチは、デビューが82年で、後世のバンドたちに多大な影響を与え、アメリカ・ハードコアの基礎の半分くらいを作ったと言われているバンドだ。イギリスのOiから進化したハードコアで、デス声の先駆者のようなボーカル・スタイル、パワーヴァイオレンスに多大な影響を与えたといわれるノイジーでパワフルなサウンドスタイルが特徴だ。

出典:METRO TIMES
 
そしてネクロスは、デビューシングル『SEX DRIVE(セックス・ドライブ)』のプレスリリースがわずか100枚で、いまだに1stアルバムは再発されていない。アメリカン・ハードコア史上10本の指に入るレア盤として語られてきた。YouTubeが普及するまで、長らくそのサウンドが知られることがなかった。最近までそのサウンドが知られることがなかった伝説のバンドとして語り継がれてきた存在だ。

出典:necros.bandcamp.com
 
ザ・フィックスも、デビューEP『VENGENCE(ヴェンジェンス)』の発売がわずか200枚で、このバンドもアメリカン・ハードコア史上10本の指に入るレア盤といわれてきた。だがネクロスとは違いそのサウンドは猛烈な勢いと爆音で駆け抜けるハードコア・パンク。ハードコアに進化していく原型のサウンドなのだ。どのバンドも活動期間が短く、それでいて後世に多大な影響力をあたえたバンドたちだ。

出典:Pinterest
 
わずか数百枚しかリリースがなかったという希少性。サウンドと精神性の両面からの後世への影響力。そしてわずか6年しかシーンが続かなかったという伝説。それらの要素が、デトロイト・ハードコア・シーンという特殊性を生んだのだ。これほどオリジナルティーのあるサウンドで特殊性はほかのシーンと比べても奇異だ。アメリカン・ハードコアが好きなら、絶対必読する必要のある本だ。