Crooked Shadows Dashboard Confessional Fueled By Ramen 2018-02-08 |
じつに9年ぶりとなる作品。このアルバムを語る前に、まずはChris Carrabba (クリス・ギャラハー)の活動から振り返りたい。09年に発表したアコースティックギター1本でシンプルに語り弾きをしたアルバム『Alter the Ending(アルター・ザ・エンディング)』を最後に、Dashboard Confessional(ダッシュボード・コンフェッショナル)の活動を休止した。10年10月にはデビュー作である『The Swiss Army Romance(ザ・スイス・アーミー・ロマンス)』のデラックス・バージョンの発表。『ザ・スイス・アーミー・ロマンス』の曲を完全再現したソロライヴを行った。同じく10年に、クリス・ギャラハーが初めて結成したハードコア・バンド、FURTHER SEEMS FOREVER (ファーザ・シームズ・フォーエバー)を再結成。12年に『Penny Black(ペニー・ブラック)』を発表。そして11年には、REMやArchers of Loaf(アーチャー・オブ・ローフ)やJohn Prine(ジョン・プランイン)などの往年のアーティストからマニアックなインディーロックアーティストまでをカヴァーしたクリス・ギャラハー名義のソロ活動を展開。11年からカントリーやフォークなどのルーツ・ミュージックを追求したTwin Forks(ツイン・フォークス)を結成。13年にEP、14年にLPを発表した。
ダッシュボード・コンフェッショナルの活動を休止し、色々な活動を展開していた理由には、おそらく様々な角度から音楽を見つめ直す必要があったのだろう。『ザ・スイス・アーミー・ロマンス』の再現ライヴでは、ダッシュボードコンフェッショナルを始めたころの痛々しい感情を思い出し、ファーザ・シームズ・フォーエバーの再結成では、バンドを始めたころの立ち向かっていく気迫などを取り戻した。そしてソロ活動では好きな曲をカヴァ―することによって、自分が音楽を好きになった理由を再認識した。ツインフォークでは、自らの魅力である透明でパッショナブルな美声を最大限に引き出し、まどろみや穏やかな幸せなど多幸感を表現してきた。ミュージシャンを続けていくために色々な感情を知る必要があったのだ。
とくに音楽の幅を広げたツイン・フォークでの活動は、肩の力を抜いた、いままでと真逆のスタイルで、自らの美声の生かし方を学び、多彩な感情を表現した。自らの可能性を最大限にまで広げたという意味では貴重な体験だったのだろう。その作品も素晴らしく、ミュージシャンとして円熟期を迎えているように思えた。
だがまたダッシュボード・コンフェッショナルの活動に戻ってきた。今回、復活した理由は、もう一度、エモいと呼ばれる熱い感情を取り戻したかったからだろう。クリス・ギャラハーはBillboardでのインタビューで、「これを言うのをあまり良くないが、ぼくはむかし自分が作ったアルバムのほうが好きだと認め始めたんだ。その理由も分かっている。他のミュージシャンを見ていると、アルバムを発表するたびに新しい音楽を取り入れ、モチベーションを維持している。時が経つにつれ、音楽へのこだわりは重要視されるが、歌詞の内容は希薄になっていく。人から聞いた話のひとつが歌詞は重要じゃないってことだった。ぼくはそう思わない。彼らの考え方は正しいのかもしれないけど、だからこそぼくは歌詞を重要視したい。新作はぼくにとって初期3枚くらいのころにすごく似た作品になるよ」。と語っていた。
そもそもダッシュボード・コンフェッショナルのバンド名は、“The Sharp Hint of New Tears(シャープ・ヒント・オブ・ニュー・ティアーズ)”という曲から生まれたもの。一人運転する車の中で、彼の告白を聞いたダッシュボート(車の精密機器)から、 “Dashboard Confessional”というネーミングを思い浮かんだという。そこでは失恋で感じる心が引き裂かれるような思いや、傷つけられたことによる恥辱など、生々しい経験が語られていた。倒れそうになりながらも歯を食いしばって前へ進んでいくエモい姿が魅力のアーティストであった。
そして9年ぶりとなる今作も今までのアルバム同様、熱い作品に仕上がっている。だが初期3作にあったような、心の痛みや裏切りといった悲しみに彩られた感情はそこにはない。『曲がった影』と名付けられた今作では、逃げることのできない影のようについて周る自分の人生の闘いについて歌っている。“We Are Fight(ウィー・アー・ファイト)”は自分の道を切り開く決意や人生との闘いを歌い、“About Us(アバウト・アス)”では恋の激しく燃える炎について歌っている。“Heart Beat Here”(ハート・ビート・ヒア)では、痛みや悲しみを乗り越え成長した現在の姿について歌っている。挫折や苦難という痛い経験を乗り越えてこそ、人間は成長ができる。そんな内容がテーマなのだろう。
苦難を乗り越えるという意味での熱さは健在だが、だからといってけっして過去の焼き直しになっているわけではない。前作はキーボードのキラキラメロディーをちりばめたビューティフルなギターロックが中心に、清流のような透明さと熱さのバランスの取れたサウンドだった。今作では、アコースティックギターのエモーショナルな語り引きも健在ながらも、The1975のようなインディーポップから、キャッシュ・キャッシュのようなディスコエモなどの、トレントを取り入れている。過去の魅力を保持しながらも新しい要素を加えている。
ギャラハー自身、若いころの気持ちを取り戻そうと躍起になっているというレビューもある。だが個人的にはけっしてノスタルジーになっていないと思う。なぜなら過去の傷口を掘り返し、思い出にすがるような内容ではないからだ。現在の心境を赤裸々に綴った歌詞には、リアリティーがあり、真実の声が伝わってくる。正直に言って、“Hands down(ハンズ・ダウン)”や“SCREAMING INFIDELITIES(スクリーミング・インフィデリティ―ス)”などの過去の名曲を超える曲は今作にはない。だがそれらの曲と比べて遜色がないほどクオリティーの高い作品に仕上がっている。ダサいと思われようと前へ進んでいく泥臭い熱血漢。いまだに彼がエモレジェントとして呼ばれている理由なのだ。