クラリティ ジミー・イート・ワールド EMIミュージック・ジャパン 1999-06-09 |
99年発表の3作目。彼らの最高傑作。この作品でジミー・イート・ワールドはエモというジャンルを確立し、その後多大なフォロアーを生んだ。エモーショナル・ハードコアの特徴である“静”と“動”のアップダウン。その“静”の部分だけを濾過し、透明さを抽出したサウンド。メロディーは神秘的な雰囲気に満ち、クリスマスのイルミネーションのように穏やかで清らかにキラキラと光っている。当時これほどまでに透明で純粋なサウンドを展開しているバンドは彼ら以外あり得なかった。
とくに印象的なのは、ギターとバイオリンとトライアングルが織り成すメロディー。静寂のなかに神秘的に響くトライアングルの金属音が水平線の広がる広大な大地で夜空の星々を見上げているようなロマンティックな気分にさせ、憤懣や呪詛を急速に洗い流してくれるように静かに穏やかに響くバイオリンの音色が心洗われるような癒しに満ちている。そしてキラキラと光るギターのメロディー。静寂な空間にライトの明滅のように静かに鳴り響くギターは、清らかな気持ちとやすらぎを与えてくれる。
それにしてもこの透き通った純粋性はすごい。純粋さとは無知や無垢を内包し、悪い言い方をすれば、大人になりきれない幼稚さとも捉えがち。しかしその稚拙さこそ、この作品の最大の魅力だ。そこには、大人はなぜ僕たちを理解してくれないのだろうという疑問や困惑した思いや、キリストの誕生日を祝うような神聖な気持ちと静謐な雰囲気が漂っている。純粋さゆえの理解されない苦しみと、心がきれいな人間の清らかさと安らぎ。その純粋性が、この作品の魅力をより深いものとしている。
同時期にエモと呼ばれたゲッド・アップ・キッズやプロミス・リングなどと比べると、この作品には、悲しみや憤り、怒りなどの共感するような情緒はないし、身を荒げるような激情もない。いうならエモーショナルではないのだ。それでも彼らはエモの先駆者として呼ばれている。その理由はエモーショナル・ハードコアから発展したサウンドだからだろう。この作品にもフガジからの流れを感じ取ることができる。だがこの大人しく、ひたすら美しさを追求しているサウンドは、当時アメリカインディーシーン全体を含め、誰もいなかった。そういった意味では、新しい形のインディーポップを提示した作品といえるだろう。