“ホワイト・ライト,ホワイト・ヒート,ホワイト・ラッシュ” ソーシャル・ディストーション エピックレコードジャパン 1996-01-09 |
じつに4年振りとなる96年に発表された5作目。本作は、メロディック・パンクブームが終焉を迎えつつあるころに、ひっそりと届けられた。もしあと2年早く発表されていたのなら、彼らの評価も変わってきたのかもしれない。メロコアの先駆者として、いまよりもっと注目されていただろう。だがブームに乗ることをあえて避け、自分が納得をいく作品にこだわり、わが道を行くといったスタンスに、ネスの意志の固さを感じる。
今作では、ロカビリーやブルースからの影響がなくなり、ラモーンズ直系の野太いコードギターで、典型的なアメリカン・パンクを展開している。基本的にミドルテンポの遅い曲が多いが、そこには砂煙が舞うような荒廃した重苦しい雰囲気が漂っている。無駄な贅肉を削ぎ落とし、骨組みだけのシンプルでソリッドなサウンドなため、ダイレクトに精神的な重さが伝わってくる。
そこにこめられた想いとは、悔悛や憂い、苦悩や憔悴といった感情だ。4曲目ではI Was Wrong(私は間違っていた)と罪への告白をし、1曲目の“ディア・ラヴァー”と7曲目の“ホエン・ジ・エンジェルズ・シング”では、ネスの祖母に対するオマージュを歌っている。そこでは、解決できなかった問題や、過ちを犯した後悔について歌っている。ネスに愛情を注いでくれた祖母が亡くなったいま、彼女の期待を裏切ってしまったことに対する悔やむ想い。刑務所なんかに入らず、もっと祖母が喜んでくれるような生き方をすれば、幸せにあの世へ行けたのではないか...そんな良心の呵責に苛まれるネスの苦痛に満ちた歌声が、なんとも痛ましい。悲しみの先で悩み苦しみ煩悶した想い。何もしてあげられなかったことに対する後悔。そして憔悴しきった姿。まさに親のありがたさは死んでから気づくとはこのことであり、本当の愛の意味を知るものだけが感じることの出来ない心の痛みなのだ。
ぼくはこの作品を聴いて気が滅入るほど重苦しい気持ちに苛まれた。事実、英語圏の人たちに言わせれば、聴くと立ち直れなくなる人もいるという。このアルバムを最高傑作とする意見も多い。なお『メインライナー』にも収録されていたローリングストーンズのカバー、“アンダー・マイ・サム”のソリッド・ヴァージョンを再録。アメリカ社会の歴史を痛烈に批判した名曲“ドラッグ・ミー・ダウン”も収録されている。