NOFX自伝 間違いだらけのパンク・バンド成功指南

17年に発売されたNOFXの自伝。NOFXといえば、日本ではGREEN DAY(グリーンディ)やOFFSPRING(オフスプリング)、RANCID(ランシド)、BAD RELIGION(バッド・レリジョン)と並び、メロコアの創始者の一つとして、認識されているバンドだ。日本ではメロコアと呼ばれていたメロディック・パンク・シーンとは、パンクサウンドの大衆化。攻撃的で反社会的で暴力的だったパンクを、万人受けするポップなイメージに180度変えたシーンなのだ。だがカラッと明るくポップでキャッチ―で大衆受けするGREEN DAY(グリーンディ)やOFFSPRING(オフスプリング)と比べると、NOFXはアンダーグランド志向で、マイナー受けのパンク・アティテュードにこだわりを持ったバンドなのだ。

 

この本では、バント結成から、NOFXという盤名の由来、パンクのライヴが暴力的だったころのエピソード、94年のメロコア・ブーム、ブッシュ大統領再選阻止運動のウェブサイトのPunk Voter(パンク・ヴォーター)とアメリカのパンク・バンドを集めたコンピレーションアルバム『ロック・アゲインスト・ブッシュ』に、SMや女装など、NOFXの歴史上外せないエピソードをすべて網羅した内容で、汚い部分も隠さず赤裸々に語っている。

 

内容の半分以上はドラッグにまつわるエピソードで、正直辟易させられたが、個人的にとくに面白かったのは、94年のメロコア・ブームの話。当時パンク・バンドがメジャー・レーベルに青田買いされ、NOFXにもメジャーレーベルからのオファーがあった。だが地道なライヴ活動で徐々にファンを増やしてきたいままでの活動を、メジャーレーベルの人間にすべて否定されたそうだ。その発言に不快感を覚え、メジャーレーベルとの契約はしないと固く誓ったそうだ。メジャーレーベルを拒否した結果、MTVでの出演も不可になり、テレビ出演が一切なくなりライブ活動というアンダーグランドでの地道な活動を強いられたそうだ。そして同じ質問ばかりを繰り返すインタビューアーに辟易し、インタビューを拒否するようになり、雑誌からの掲載もなくなったそうだ。

 

当時はアンダーグランドこだわりを持ったパンク精神を貫いているバンドとしてNOFXは評価されていたが、メディアに対する不信感が、本人たちが気づかないところで、世間的に勝手にそんなイメージを持たれたようだ。それにファット・マイク自身、メロコア・ブームは一時だけのもので、その2、3年後にはブームは終わるだろうと、醒めた視点で先を見据えていたようだ。その後もブッシュ政権の落選運動Punk Voter(パンク・ヴォーター)をきっかけに、雑誌のインタビューの掲載やMTVとTVへの出演、離婚をきっかけに深くハマったSMと女装、お金ではなく刺激を求めてパンク未開の地であるアイスランドやシンガポール、韓国や中国などにライヴを敢行した話など、NOFXならではの奇抜な行動の理由や、その経験で得たエピソードなど、興味深い話が続いていく。

 

NOFXとは、Germs(ジャームス)から始まる西海岸ハードコアのドラッグまみれの退廃的なアティテュードを、現在に受け継いだバンドといえるだろう。そこに下品なユーモアを加えたNOFXならではの個性があるのだ。ぼく自身いままで彼らのライヴを複数回にわたって観てきたが、個人的にはなかなか本質をつかめたバンドという印象があった。その理由がこの本を読んで理解できた。それは軽薄というか、感情的にものすごく醒めた部分がNOFXあるからだ。NOFXのパンクとは、退廃的な感情と喜劇を融合した狂気と、ジャック・ケルアックの『路上』のような快楽と興奮と衝動を求めた無意味な自己破壊にあるのだ。本のエピソードにあったが、ファット・マイク自身、友人の首つり自殺の場面に遭遇した経験があるそうだ。幼いころ感情的に遮断する癖があって、そのときも感情を塞ぎ、なにも感じず、事務的なまでに冷静に死体の対処をしたそうだ。それがいままでぼくがNOFXに対してどこか情緒的レスポンスを感じることが出来なかった部分なのだ。そして歌詞では普通の人では恐怖に感じる部分をシュールな笑いとユーモアに載せ歌っている。まるで日本の漫画まことちゃんのように、笑いと怖さが混然一体となった狂気がそこにはあるのだ。

 

正直、この本を読んでNOFXの好感度は下がったが、NOFXほど、Sid Vicious(シド・ヴィシャス)やDarby Crash (ダービークラッシュ)、その先にあるアブノーマルな変態などを追求している、ある意味正統派なパンクも、いまやほとんどいないもの事実だ。ぼくとっては嫌いなパンクのスタイルに当たるが、彼らほどのドパンクな生き方をしているバンドもいない。心底クズで偉大なパンクバンドなのだ。