ここではジェームス・スプーナー監督による、2003年に上映された黒人のハードコア・シーンを紹介した映画“アフロパンク”を中心に、アフロパンク・シーンを紹介していく。監督のジェームス・スプーナー自身が黒人ということもあって、白人(黄色人種も含めた)には、理解できない複雑な感情に焦点を当てている。このドキュメンタリーは、黒人の有名なバンドを紹介するのではなく、パンクに熱狂する黒人ファンにスポットを当てている。そこではパンクを好きになったきっかけや、心酔する理由などが語られている。パンクとは、世間からはみ出した疎外感、政治への怒り、夢に向かって突き進むD.I.Y精神、自分探し、やりたい何かを探す自己探求、スケボーやストレートエッジなどのライフスタイルなど、そんな思想も持った音楽なのだ。パンクを好きになったきっかけや理由は、人それぞれに違う。だが、パンク精神にひかれる理由は、黒人や白人、黄色人種を問わず、みんな一緒だということが理解できた。パンクとは人種を超越したところ共通の思想を持った音楽なのだ。
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だがこの映画は、エディー・マーフィー主演の映画『星の王子様ニューヨークへ行く』と同様、表層的な内容は理解できても、真の奥深い感情は、黒人でなければ理解できない作品になっている。アメリカの白人と黒人との間には、16世紀の奴隷貿易から、何百年という長い歴史が存在する。征服者と被征服者という関係がリンカーンの奴隷解放まで続き、その後も労働者階級層を黒人が担ってきた。その歴史のうえに培われた感情が、現在のアフロアメリカのアイデンティティを形成している。その事実を理解したうえで白人と黒人の関係性を理解しなければ、この作品は理解できない。W.E.Bデュボイスの『二重意識』を理解していないと、分からない部分もある。たとえば、黒人の女性が白人の友達を迎えに行くシーンや、黒人ボーカルが白人の客に対してマイクを差し伸べシンガロングを求めるシーンなどが最たる例で、個人的には主人公たちが抱えている感情や煩悶など、個人的には理解できない部分があった。
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映画は、黒人のパンク/ハードコア・ファンの日常を追ったインタビュー形式で構成されている。ところどころにインタビューアーの質問の意図が分からず、説明不足と感じる個所がいくつか散見された。DVDの特典である映画監督による解説を見なければ、理解できない部分が個人的には多々あった。だが、黒人ならではの葛藤や煩悶などが伝わってきて素晴らしい作品だった。白人だらけの環境で育った黒人が感じる疎外感。黒人に対しても白人に対しても感じる疎外感が、パンクを好きになった理由だと答えていた部分には、日本社会で疎外感を感じていた僕としては、深い共感を受けた。
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とくに印象的だったのが、白人と黒人が共存するアメリカ社会で、かりにどんなに白人が憎かったとしても、排除するなどあり得ないし、それは不可能だろうと、発言していた部分。ジェームス・スプーナー監督の「映画を作るうえで気を付けたのが、白人非難した映画を作らないこと。白人を非難すれば、問題が解消(黒人の劣等感や地位の向上など)するかという、そんな単純な話ではない」。発言には考えさせられるものがあった。かりに白人非難に固執してしまったら、黒人以外は認めないという閉鎖的な考えにとどまってしまう。それは黒人以外の外の世界を知らないということ意味する。黒人と白人がいがみ合っているだけなら、けっきょく問題はなにも解決しない。黒人の地位向上を目指すなら、白人のいい部分を受け入れる寛大さも必要なのだ。
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インタビューのなかでマリコという黒人が、私は黒人ではなく、コスモポリタンだと発言していた。コスモポリタンとは、国籍や民族、人種や宗教などにこだわらず、人間社会という一つの共同体と捉え、その構成員である全ての個人は平等であると考える政治思想を指す言葉だ。その考え方は、ユダヤ、白人、メキシコ、アジアのすべての人種から、引き付ける魅力のあるパンク/ハードコアの思想に通じる。パンク/ハードコアとは、真のコスモポリタニズムがある音楽なのだ。
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今回の映画を観てパンク/ハードコアとは、コスモポリタニズムを含んだ、思想の音楽だということが理解できた。どのひとも黒人だからといって、けっして悲観や憎悪に駆られているわけではなかった。この作品を通じてぼくが感じたのは、民族のアイデンティティにこだわるのはよいことだが、それに固執しすぎてもいけない。他民族を受け入れる寛容性が必要だということ。他者の痛みを知ることによって、戦争も回避できるだろう。その考えが平和へと繋がっていくのだから。