Detroit Hardcore デトロイト・ハードコア・シーンについて(その2)

フリーザーの閉店


1982年にフリーザが閉店する。デトロイトで最も治安の悪い地区にあるザ・クラブハウスにシーンの拠点が移った。1981年にNecros(ネクロス)がブッキーズで最後のライヴをやった。店を破壊しためちゃくちゃなライヴだったという。スキンヘッドで労働者階級の英雄だったNegative Approach(ネガティヴ・アプローチ)が有名になり、デトロイトは、右翼の温床となるシーンへと変貌を遂げた。人を殴ることを目的としたスキンヘッズが大挙して押し寄せ、ライヴが暴力的になった。だがNegative Approach(ネガティヴ・アプローチ)は、右翼や人種差別的な内容を一切歌ったことがなかったが、デトロイトのハードコアシーンは、ネオナチや白人至上主義になっていった。その状況にうんざりしたのか、Negative Approach(ネガティヴ・アプローチ)は、1983年に解散する。

 

デトロイト・ハードコアの終焉

Necros(ネクロス)のCorey Rusk(コリー・ラスク)とTouch and Go(タッチ・アンド・ゴー)のTesco Vee(テスコ・ヴィー)の仲が悪くなることによって、デトロイトのハードコア・シーンは徐々に縮小していった。1987年にはNecros(ネクロス)がメタル化をし、Megadeth(メガデス)などのバンドとツアーをしたが、それが活動の最後となった。現在もTesco Vee(テスコ・ヴィー)との仲は解消されておらず、Necros(ネクロス)の『IQ32』は5万円を超える高値で取引されている。


デトロイト・ハードコアとは、労働者階級層が暴力的に暴れ、熱狂する男くさく暴力的なシーンだった。イリテリだったDCハードコア・シーンや退廃的なGerms(ジャームス)やマッチョのBlack Flag(ブラッグ・フラッグ)などの西海岸のハードコア・シーンとは、対極なまでに様相が異なる。デトロイト・ハードコアは、カルフォルニアやワシントンDC、ニューヨークやボストンなどのシーンを比べると評価が低い。だがハードコアの男くさいイメージを作ったのは、まぎれもなくデトロイトのハードコアなのだ。伝説と呼ぶにふさわしいシーンだ。

Dope, Hookers and Pavement: The Real and Imagined History of Detroit Hardcore
オットー・ブジ監督