BEATDOWN HARDCORE ビートダウン・ハードコアについて

起源(1980年代後半から1990年代前半・中盤)

Breakdown(ブレイクダウン)

ブレイクダウン
出典:DO YOU KNOW HARDCORE?
1980年代後半から1990年代前半になるとニューヨーク・ハードコアは細分化していく。日本でニュースクール・ハードコアと呼ばれていたバンドたちが席捲し始めた。ヒップホップと90年代メタルをハードコアに融合した新世代のバンドたちで、ニューヨーク・ハードコアの新しいシーンを担っていく。ビートダウン・ハードコアの原点がニューヨーク州ヨンカーズ出身のBreakdown(ブレイクダウン)。1987年に発表された『The’87 Demo』は、Cro-Mags(クロ・マグス)の“Malfunction(メルファンクション)”に、ヒップホップや重いギターを加え、さらに進化させたサウンドを展開していた。

JUDGE(ジャッジ)

ジャッジ
出典:Pinterest
そしてストレート・エッジ・バンドとして知られるJUDGE(ジャッジ)。80年代半ばから後半にかけてのニューヨーク・ハードコアは、中産階級層出身のYouth of Today(ユース・オブ・トゥディ)らのバンドによって、ユース・クルーと呼ばれるストレーエッジ・シーンがニューヨークを席巻していた。そんななか、労働者階級層出身のJUDGE(ジャッジ)の出現によって、ユース・クルー・シーンは暴徒化していく。ドラッグやアルコールによって崩壊した家庭に育ったJUDGE(ジャッジ)のボーカルMike “Judge” Ferraro(マイク“ジャッジ”フェラーロ)は、ドラッグやアルコールを憎み、ストレート・エッジになったという。1989年発表の『Bringin’ It Down(ブリンギン・イット・ダウン)』は、ぶ厚くメタリックなギタークランチを加えたハードコアを展開していた。そのサウンド形態がのちのビートダウン・ハードコアに大きな影響をあたえていく。

Sheer Terror(シアー・テラー)


出典:facebook
Sheer Terror(シアー・テラー)は、典型的なオールドスクール・ハードコアだが、個性的なバンドでもある。1989年に発表された『Just Can’t Hate Enough(ジャスト・キャント・ヘイト・イナフ)』は、ドスの効いたボーカルや、ダブルキックのドラムやパワーコードを使ったギターなど、あとにブレイクダウン・ハードコアへと繋がる要素を取り入れた作品だ。

Maximum Penalty(マキシマムペナルティ)

マキシマムペナルティ
出典:facebook
ミディアムテンポでノイジーで重いギターを初めてニューヨーク・ハードコアを導入したのがMaximum Penalty (マキシマムペナルティ)。89年に発表された『Demo ’89(デモ89)』は、ハードコアのスピード感を保持しながらも、ヒップホップの歌い回しやノイジーで重いギターを取り入れ、Agnostic Front(アグノステック・フロント)やCro-Mags(クロ・マグス)らのバンドたちか確立したクロスオーバー・スラッシュを、さらに進化させている。

Killing Time(キリング・タイム)


出典:facebook
Killing Time(キリング・タイム)は、重いダウンチューニングされたギターをニューヨーク・ハードコアに取り入れたバンドだ。1989年に発表された『Brightside(ブライトサイド)』では、ややスピードを落とし、シリアスで重いダウンチューニング・ギターで、ブレイクダウン・ハードコアの基礎を築いた。

Confusion(コンフュージョン)

コンフュージョン
出典:facebook
Confusion(コンフュージョン)は、自らをNew York Death Core(ニューヨーク・デスコア)と名乗っている通り、ビートダウン・ハードコアを呼ばれることに、いささか抵抗があるバンドだい。だが、92年発表の『TASTE OF HATE(テイスト・オブ・ヘイト)』は、デスコアよりもビートダウン・ハードコアに近いサウンドを展開している。デスメタルなギターを、スローテンポなリズムやOiなどのビートダウン・ハードコアに散りばめ、彼ららしい個性を確立した。