Taqwacoreタクヮコア・シーンについて

アメリカはイスラム教徒の小説家、Michael Muhammad Knight(マイケル・ムハンマド・ナイト)が2003年に執筆した小説『The Taqwacores(タクヮコアズ)』。この作品自体は架空の話だが、この本を読んだイスラム教徒の若者たちに多大な影響を与え、実際にイスラム教徒たちによるパンクシーンが発生した。その名もTaqwacore(タクヮコア)。ここでは小説が映画化された『The Taqwacores(タクヮコアズ)』と、そのサントラ『Original Motion Picture Soundtrack(オリジナル・モーション・ピクチャー・サウンドトラック)』と、その後を追ったドキュメンタリー映画『The Birth of Punk Islam (ザ・バース・オブ・パンク・イスラム)』の3本を中心に、Taqwacore (タクヮコア)について紹介していきたい。

マイケル・ムハンマド・ナイトの小説『タクヮコアズ』の映画化を、11年にDVDとして発売されたのが、この作品。まず映画を説明するまえに、マイケル・ムハンマド・ナイトの生い立ちから説明したい。マイケル・ムハンマド・ナイトは77年にウエストバージニア州バークレースプリングスにて、ペンテコステ派の宣教師、ウェズリー・アンガーのもと産まれる。父アンガーは、日本でいう暴走族のような不良グループで、バイカーに属し、家庭では暴力が絶えなかった。ナイトが2歳のころ、家庭内暴力が激しくなり、母に連れられ家を出たという。ジュネーブ、ニューヨークと渡ったナイトは、アイルランド系のカトリックの家庭で育てられた。ナイトがイスラム教に目覚めたのは13歳のころ。パブリック・エネミーの歌詞を通じてマルコムXの存在を知ったのがきっかけだという。マルコムXの自叙伝に感銘したナイトはイスラム教に改宗する。15歳のとき、自らを虐待し白人至上主義者だった父と再会した。じつに13年ぶりの再会だという。白人至上主義者の父に対して、自分がイスラム教へ改宗したことを告げた。それがナイトの初めての反抗だった。17歳の時、パキスタンのマドラサでイスラムを勉強するため、ロチェスターの母の家を出た。その後イスラマバードを旅し、イスラム教への理解を深め、ロシアのチェチェン紛争についても学んだ。しかしナイトはイスラム教を知れば知るほど、イスラム正統派に幻滅をした。それが小説『タクワ・コア』を発表するきっかけになった。発売当初の小説は自主出版という形で製本られたが、Jello Biafra(ジェロ・ビアフラ)が設立したAlternative Tentacles Records(オルタナティヴ・テンダクルズ・レコーズ)によって、複製され配布されたという。

この映画の内容だが、ニューヨーク、バッファローに住むパキスタン系アメリカ人が、同じ宗教観を持ち、同じくイスラム社会からはみ出した不良少年・少女の若者たちとパーティー繰り広げる架空の物語である。話はニューヨーク州バッファローにあるムスリムのコミュニティ集合住宅に、パキスタン人の学生、ユセフが移住するところから始まる。そこには赤いモヒカンのヤービー、ゲイでNEWYORK DOLLS(ニューヨーク・ドールズ)のようなメイクのスムージー、Patti Smith(パティー・スミス)の詩の一節を部屋の壁に刻み、パンクワッペンが貼り付けられたブルカ(目の部分も網状になっていて完全に隠れたイスラム教徒の服装)を纏ったラビア、YOUTH OF TODAY(ユース・オブ・トゥディ)のTシャツを着こなし敬虔なイスラム教徒でストレート・エッヂのウマルなど、とてもムスリムとは思えない人びとが住んでいた。あるとき主人公のユセフはヤービーらとスケボードで遊んでいたとき、タクワ・コアの存在を知る。タクワ・コアとは、タクワ(アラーへの愛と恐怖)と、ハードコアが合体した造語。つまりムスリムによるパンク・カルチャーだ。

出典:npr

ヤービーらは週末の夜に集合住宅でパンク・パーティーを開催していた。そこでは飲酒やドラッグ、フリーセックスなど、教義で禁止されている行為が繰り広げられていた。彼らはアラーの教えを自らの人生訓として心に刻み、重要なアイデンティティと捉えている。しかしシャハーダ(信仰告白)でヤービーが「アラーは寛大にして偉大だ。それに比べてイスラム社会は小さく閉ざされている。俺たちはムスリム(神に帰依する者―アラビア語でイスラム教を信じる人)だが、イスラム(アラーが唯一の神であると信じ、神が最後の預言者と指名したムハンマドを通じて、コーランの教えを信じ従う人々)ではない」と発言する。教義によって禁止された事項の多いイスラム教に対して、不満を爆発させている。彼らは自由と感情の開放と快楽を求めて、ライヴでフラストレーションを発散させ、フリーセックスや飲酒、喫煙などを楽しんだ。ヒッピーなどのカウンターカルチャーが勃興した60年代のアメリカの若者のように、イスラム教徒の若者である彼らもまた、アイデンティティーの確立や精神の自由を求めた。

ストイックで健全な道徳観を持ったウマルとの確執を挟みながらも、ヤーヒーの尽力によって、カルフォルニアからタクワ・コアバンドを呼ぶことに成功する。ニューヨークで初めてのムリスム・パンクのライヴが開催された。しかし80年代のパンクシーンさながらの暴力事件(死亡事故?)が起き、一夜限りでライヴは終わり伝説と化した。まるで一夜の夢から覚めたようにユセフが鋲ジャンをゴミ箱に棄て、物語は終わる。

この物語は、アメリカに住むイスラム教徒の不良少年たちの複雑な心情を描いた映画だ。ぼくは小説を読んでいないので、映画と小説の違いは分からない。ただこの映画に関してだけいえば、女性の権利を主張したパティー・スミス、フェミニストを支持したニューヨーク・ドールズ、ドラッグ、酒、カジュアルなセックスを否定したストレート・エッジのユース・オブ・トゥディ、猥雑なワーキングクラスのエクスプロイデッドなど、それぞれにパンク・ハードコア異なるライフスタイルを信仰している。パンク・カルチャーに多大な影響を受けながらも、イスラム教の神への信仰や畏敬の念は失っていない。そこには差別する白人への嫌悪とパンクを創った白人へのリスペクト、自らのアイデンティティーであるイスラム教への畏敬と厳しい戒律への苛立ち。そんな相克する感情の狭間で気持ちが揺れ動いている。世間からはみ出したイスラム教徒の不良少年たちの複雑な心境を、描写した物語なのだ。この小説はアメリカの若いイスラム教徒にとって、イスラム教徒版の『ライ麦畑をつかまえて』と評価されているそうだ。

出典:npr
この映画がアメリカのイスラム教徒の心境を正確に捉えているのか、ぼくにはわからない。ただひとついえるのは、この小説に感銘を受けたムスリムの若者たちによって、現在、『タクヮコア』のシーンが立ち上げられた。パンクとは人種や宗教に関係なく、世間からはみ出した者たちの未来を切り開き、力を与えてくれる音楽なのだ。