DOWNCAST(ダウンキャスト)
『Tell Me I Am Alive(テル・ミー・アイ・アム・アライブ)』インタビュー

———当時日本でダウンキャストは、スクリーモのレジェンドと言われました。25年前になぜ活動を止めてしまったのですか?

Brent(Gr):正直に言って、俺たちが伝説的だと、誰からも言われたことがないよ。俺たちは一生懸命働き、できる限りライヴでプレイした。俺たちのライヴはエモーショナル・ハードコアのようなインパクトあった。観ている観客にとって、精神的にかなり重いライヴだったことを自覚している。だからといって俺たちが特別だとは思わなかったし、伝説のバンドと呼ばれるよな感触も得ていない。お金のためでなく、好きだからバンド活動をしていたんだ。
 
いくつかの訳があって解散したけど、もはやその理由も、いまとなっては重要ではないんだ。俺たちの人間関係はヨーロッパ・ツアーの最中に壊れた。原因はコミュニケーションの部分での失敗。俺の個人的な理由で、みんなに大きな迷惑をかけてしまった。いまとなっては自分の責任を認めている。そして後悔もしている。いま振り返ってみると、もう少し人生経験があれば、この問題を解決できたかもしれない。だが当時の俺には不可能だった。傷を癒すのに、そしてみんなとの関係を修復するのに、ほぼ20年かかった。いまとなっては、デイヴもケヴィンもショーンも、礼儀正しくエシカルな人として、とても尊敬している。失われた時間のことを考えると、とても悲しいよ。

———『Tell Me I Am Alive(テル・ミー・アイ・アム・アライブ)』は25年ぶりの作品です。ダウンキャストの最高傑作です。活動を再開した理由を教えてください。

Brent(Gr):評価してくれてありがとう。ダウンキャストが解散したあと、デイヴとケヴィンとショーンはNot For The Lack Of Trying(ノット・フォー・ザ・ラック・オブ・トライニング)というバンドを結成して、そのあとJara(ジャラ)を結成したんだ。ダウンキャストとは異なる音楽性のバンドだったな。その後ケヴィンと弟のグレッグは新しいバンド、Born and Razed(ボーン・アンド・レイジド)を結成した。こちらもダウンキャストとは異なる趣向のバンドで、非常にクールだった。ケヴィンとデイヴとショーンはずっと仲のいい友達でいたけど、お互いに家庭を持ち、家族サービスが重要になって、最終的に音楽から離れてしまったんだ。
 
時間は傷を癒し、俺たちの関係​​を修復してくれたよ。最初は音楽の話ではなく、お互いの人生について少しずつ話し始めた。俺たちが共通する話題から。その後ゆっくりと、数年にわたって、ダウンキャストについて話し合ったんだ。バンド末期のころの自分の行動について、償いをしたいとね。もはや謝罪は必要なかった。過去のことはまったく気にしていないと言われたよ。俺たちみんなでダウンキャストで活動してきた意味について、話し合ったんだ。ダウンキャストは、もっとクリエイティブに、もっと情熱的に、もっと破壊的な衝動を持ったバンドだと、結論に達したよ。どれだけ年をとっても、バンドを結成したころの気持ちは、これっぽちも変わらないんだ。
 
それから再結成について話始めた。俺たちは古い曲だけを演るために再結成をしたくなかったし、過去の思い出にすがるバンドだけにはなりたくないと、結論に達した。ダウンキャストとして再び音楽活動を再開する理由として、まず自分たちが何者であるか、何を表現したいのかを、正確に見つめ直す必要があった。いまの自分の気持ちを正直に反映したバンドになることを試みた。ダウンキャストとして再び音楽を作るには、進化し続けながらも、過去と変わらない倫理観を適用しなければいけない。すべてはダウンキャストへの愛着のために。
 
デイヴについても話さなければいけない。彼はダウンキャストに道徳的な基盤を形成してくれた。彼は冷静で、高潔で、おそらく俺たちの誰よりも、オープンマインドだった。ダウンキャストは、彼が独創性を強く求めたおかげで、進化したのだと思う。ダウンキャストを再結成するとき、彼に参加を求めた。彼の意見なしに再開することは不可能だったからね。 デイヴはいまの演奏力ではバンドに参加できないと判断したんだ。 それが、ケヴィンの弟であるグレッグにオファーした理由なんだ。彼は快く引き受けてくれたよ。いまではバンドの中心的な存在であり、彼の演奏は本当に素晴らしいよ。

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———ダウンキャストには8ビートの曲がありません。anti-dancing(踊ることを禁止)の姿勢は今作でも貫かれております。なぜアンチ-ダンチングなのですか?

Brent(Gr):本音を言えば、ダンスチューンが好きで、実際グルーヴ感のある曲は好きだよ。ただ1992年から1993年にかけて、意図的にバランスを崩し、暴力的で耳障りな音楽を作っていたんだ。不協和音やダウンチューニング、マイナーなコードパターンを探求するにつれ、シンコペーションや、20世紀初頭のロシアのクラッシク奏者、イーゴリ・ストラヴィンスキーのような音楽的の要素を加え、オリジナルティーを探求していたんだ。この実験性を盛り込んだ曲が“Sandpaper(サウンドペーパー)”なんだ。
 
俺たちはとくにダンスすること嫌っていなかったけど、アンチ・ダンチングの評判があることは知っていた。ただハードコアのライヴの定番であるダイブやモッシュピットに疑問を持っていたことは確かだよ。ガタイのいい男性がモッシュピットで暴れて、女性のファンや華奢な男性たちが隅に追いやられていくのを見るのが、嫌だったんだ。ハードコアのライヴが、ガタイのいい白人男性が適していると気づいたとき、女性ファンや小さな体の男たちが俺たちのライヴを観るのは困難。みんなが楽しめる方法がないか、考え始めたんだ。
 
DCハードコアのバンドたちやギルマン(痴漢などの性犯罪や、人種差別、反同性愛嫌悪、暴力を徹底的に排除したサンフランシスコ・ベイエリアにあるライヴハウス)の人々のように、多くの人たちが楽しめる空間のあるライヴを演ろうと考えるようになったんだ。モッシュピットやダイブが頻発するライヴに対する俺たちのスタンスは、<暴れる奴がいると、怪我をする人がいる。>これが俺たちのコミュニティであり、いろいろな人種や身体的な特徴を持った人たちすべてが楽しめる、多様性に富んだライヴを目指しているんだ。長身でガタイのいい白人だけしか楽しめないライヴだったら、パンク精神の包括性が損なわれてしまう。 ダンスについての俺たちのスタンスは、歌詞の内容と一致しているんだ。<俺たちは楽しい時間過ごすようになった奴を、がっかりさせたくなかった> みんなに楽しい時間を過ごしてもらいたかった、それを実現する方法があると思っているんだ。
 
あと俺たちは、異性愛者の白人男性の間に起こらなかった、男女の役割と、性的アイデンティティを探求したいと思っていたんだ。Ebullition Records(エボリューション・レコーズ)からリリースしたコンピレーション・アルバム『Give Me Back(ギヴ・ミー・バック)』に、“For In Love(フォー・イン・ラヴ)”という曲を収録したんだ。この曲は、同性愛者たちに、社会で平等な権利を得られるよう求めた内容なんだ。繰り返しになるけど、だれでも受け入れられるようなライヴ・パフォーマンス・スペースを作りたいという俺たちの願望は、サウンドと一致して、そして音楽で訴えかけなればいけないと考えているんだ。

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「Tell Me I Am Alive」

Ebullition Records