Chicago Punk/Hardcoreシカゴ・パンク/ハードコア・シーンについて(1977-1984)

シカゴ・パンク/ハードコア・シーンの終息(1984年から1985年)

シカゴ・パンク/ハードコア・シーンがハードコア化していったことによって、シカゴの本来の良さであるメロディーが失われ、シーンが退化していった。観客も革ジャンにスパイキーヘアーというパンクファッショで、ステージでダイブをするというアメリカ全土と同じ盛り上がり方になり、シカゴ独特のダンスというオリジナルスタイルが失われていった。

その後シカゴはTouch and Go Records(タッチ&ゴー・レコーズ)のBig Black(ビック・ブラック)や、WAX TRAX RECORDS(ワックス・トラック・レコーズ)のMinistry(ミニストリー)などに代表されるインダストリアル・ロックに大衆の興味は移り、シカゴ・パンク/ハードコアは飽きられシーンは終焉を迎えていく。

BIG BLACK(ビック・ブラック)


出典:Wikipedia
ここでは映画の最後のほうに語られていたSteve Albini(スティーヴ・アルビニ)と、彼のバンドBig Black(ビック・ブラック)について語りたい。Big Black(ビック・ブラック)は、81年に結成されたバンドで、シカゴのパンク/ハードコア・シーンが終息に向かう84年頃に活発にライブ活動を始め、シカゴを飛び越えアメリカ全土で有名になっていく。パンクの範疇を超えたインダストリアル・ロックで、唯一無二のオリジナルティーを持っていた。また商業ロックに対して徹底的に批判した姿勢を持ち、メジャー・レーベルの音楽産業を避け、自身のツアーの契約は自ら行い、レコーディングの費用は自費でまかなうなど、D.I.Y精神という強固な信念を打ち立てた。インディペンデント・ミュージック(インディーロック)への徹底したこだわりと、自らのインディーレーベルの設立、“自分のことは自分でやれ”というD.I.Y精神は、Big Black(ビック・ブラック)から始まったといっても過言ではない。