Chicago Punk/Hardcoreシカゴ・パンク/ハードコア・シーンについて(1977-1984)

シカゴ・パンク/ハードコア・シーンのその後(1990年から2023年)

映画『You Weren’t There : A History Of Chicago Punk 1977 – 1984』では、84年までしか語られていない。だがここではその後のシカゴ・パンク/ハードコア・シーンについて紹介したい。シカゴでパンクシーンが消滅した89年にはTony Brummel(トニー・ブランメル)によって、Victory Records(ヴィクトリー・レコーズ)が創設される。メタル/ハードコアなバンドを中心にリリースされたレーベルで、シカゴのバンドのリリースこそ数は少なかったが、ヴィーガン・ストレート・エッジというジャンルを創ったEarth Crisis(アース・クライシス)や、ポスト・ハードコアのSNAP CASE(スナップ・ケース)、スクリーモの創設者のGrade(グレイド)など、シーンを代表するバンドたちを積極的にリリースした。バンドとの間でトラブルが絶えないレーベルであったが、無名で才能のあるバンドを発掘するオーナーの目利きは確かだった。

出典:Bandcamp

ハードコアが台頭する一方で90年代に入るとメロディック・パンクがアメリカ全土で流行する。BAD RELIGION(バッド・レリジョン)やGREEN DAY(グリーディ)、OFFSPRING(オフスプリング)、NOFX、BLINK 182(ブリング182)などの西海岸のバンドに代表されるメロコア・ブームが勃発。スノーボードやアメリカ的なストリート・ファッションなどとリンクし、西海岸の青空のようなカラッとしてポップで明るいパンクが、もてはやされる時代となった。

その10年後の00年代に入りシカゴでもメロディック・パンク・バンドが全世界的な人気を獲得していく。Alkaline Trio(アルカライン・トリオ)や、Rise Against(ライズ・アゲインスト)、FALL OUT BOY(フォール・アウト・ボーイ)、LAWRENCE ARMS(ローレンス・アームズ)、JUNE(ジューン)などのバンドたちによってシカゴ・パンク/ハードコアは活気を帯びていく。カラッと明るい西海岸のメロディック・パンク・バンドたちとは違い、テクニカルでしっかりとした演奏技術に裏打ちされた曲の良さが、シカゴのバンドたちの特徴だ。

出典:PUNKNEWS.ORG

一方1990年代後半に入り、ハードコアもアンダーグランド・シーンで活気を帯びていく。とくにパワーバイオレンスの分野では、Charles Bronson(チャールス・ブロンソン)というバンドを輩出し、その後マイノリティーであるヒスパニックのメンバーで構成されたLos Crudos(ロス・クルードス)へと繋がっていく。

そしてハードコアでは、FALL OUT BOY(フォール・アウト・ボーイ)のベース、Pete Wentz (ピート・ウェンツ)が在籍していたArma Angelus(アーマ・アンジェラス)、Racetraitor(レーストレイター)、The Killing Tree(ザ・キリング・ツリー)、EXTINCTION(エクスティンクション)などのバンドたちが、この時代の主流だったジャンルであるメタルコアを展開。一方、ポスト・ハードコアという風変わりなサウンドを展開していたBaxter(バクスター)なども存在していた。

自分たちの好きなパンクを演っていたら、時代性とマッチしブームになった西海岸のバンドたちとは違い、シカゴのバンドたちは、オリジナルティーに対して自覚的だった。そしてNaked Raygun(ネイキッド・レイガン)やArticles of Faith(アーティクルズ・フェイス)などのシカゴの伝統を継承し、その意志を受け継いだバンドが多いのも特徴だ。